五井野正博士の月刊「ザ・フナイ」原稿

2015年6月24日(水)

(月刊雑誌『ザ・フナイ』2010年5月号より)
科学の末路である原子力事故と汚染地獄
(福島原発事故を予期したと騒がれた論文)

 『ザ・フナイ』1月号に掲載された私の原稿が、飛鳥昭雄氏や副島隆彦氏、そしてリチャード・コシミズ氏が同号に載せた原稿と偶然にも内容がリンクしていたことに関し、同3月号、4月号で、その同一性のテーマに絞って更に究明して記述してきました。

 そして、究明すればするほど、もっと大きな謎が、その掘り下げた先の更に深い場所に岩盤となって横たわっていることが読者にも段々と理解されてきたと思います。

 しかしながら、地表面(表面事実)の上で生活していた人々にとって、井戸掘りや地質調査など特殊な要因が生じない限り地表を覆っている泥や土を取り出し、更に掘り進んで中の様子を見ることは、ほとんどないのが現実だと思います。

 ところが、庭の植物の生育が悪かったり、植えても直ぐに枯れたりして土壌の状況が不自然な状態や、地面の下から悪臭や汚水が浸みあがってきたりした場合、否が応でも地面を掘って中の様子を調査せざるを得なくなるでしょう。

 すると、この土地が大量ゴミや産業廃棄物などの埋立地の上に造成された土地だと分かった時に、貴方はどう対処すればよいのでしょうか?

 例えば、無報酬で人々のために地面を掘って発掘調査してくれた人に調査ついでに何とか問題解決してくれと頼み込むのでしょうか?
あるいは何とかしてくれると思い込むのでしょうか?
もちろん、これは御門違いな話ですね。

 もし、それを強要するならば調査してくれた人に恩を仇で返すような行為になると思います。

 そこで、市役所や政府あるいは議員さんに何とかしてくれと頼むか、この土地を売った業者や持ち主に損害訴訟を起こすしか方法がなくなってくるでしょう。

 しかし、この土地が親の代以前からの土地だったら、もはや国や市町村の行政機関に頼むしかないわけで、その時はこの土地が健康を害する、あるいは生命の危険が生じるという証拠を持って訴えなければならないでしょう。

 いずれにしても、その根拠となる事実調査を自費で行わなければならず、その汚染された土壌の広さや深さ、汚染物質の特定とそれが人体に及ぼす悪影響の科学的根拠や因果関係など、どれをとっても一個人では到底困難な作業となって、その労費を考えると大抵の人は諦めるはずです。

 しかしながら、このような一人の発掘調査や気付きは周囲の人にも影響を及ぼすことになります。

 つまり、周囲の人がその発掘現場に立ち会って、その眼で土壌の汚染状態を見たり確認したりすれば、その人と同じように、その問題に対処する共通意識が芽生えてくるからです。

 そこで、地層について専門的な知識を借りると、基本的に土壌は時間と共に少しずつ堆積されていくので、それが自然の大きな変化や人工的な事変によって堆積された土壌に変化のある地質が生じてくる。

 それが地層となって、それを調べることによってその時代の様子が分かってくる訳です。

 そこで、汚染された土壌を掘り下げていくと、汚染状態は江戸時代の地層にぶつかった所で止まることが分かってきます。

 すなわち、日本は江戸時代まで自然の中で循環型(リサイクル型)の消費生活を営(いとな)んでいたため、大量ゴミとか産業廃棄物のようなものがなかったと言える時代だからです。

 しかも、これといった戦争も無く、あるとすれば江戸時代260年間の間に由比正雪の乱や忠臣蔵でお馴染みの赤穂浪士の変ぐらいなもので、日本国中が平和そのものだったから精神的荒廃による汚染も無いといえるのです。

 実はこのような時代にこそ文化というものが発達できるものです。

 その文化は欧米諸国に大きな影響を与え、世界の近代社会と文化の基盤となったほどです。すなわち、精神が荒廃した土壌では人は育てられない、文化は華開かないという言葉通り、江戸時代の人間性、平和性の文化が欧米先進国に渡って近代の世界の精神構造や平和文化を形作ったと言っても過言ではないのです。

 すなわち精神や思想は必ず形になって表れるからです。

 ところが、逆に日本では明治以降になると、欧米の科学文明が入って化学製品などのゴミ汚染が堆積してくる訳です。

 しかも、日清、日露、第一次世界大戦、日華事変、太平洋戦争と、戦争に明け暮れた時代が続いたことから、大量の死傷者の嗚咽の叫びや戦争犯罪による国民の精神的荒廃、そして集団的怨霊等の汚染も土壌の中に染み込んで、この世とは思えない悪性土壌をつくり上げてくるのです。

 そして時々、その土壌から悪気が立ち昇って、その上に住む人達を精神、肉体両面にわたって苦しめているのです。

 土壌が汚染されているということは、その地に住む人々の生活、思想、精神も腐敗しているということで、その因果論はまた、同じようにして土壌が汚染されていれば、その土地に住む人々もやがて汚染されていくという理(ことわり)にもなる訳です。

 土壌の汚染問題に対して私は化学者ですから汚泥物質の化学分析はできますが、汚泥処理の係まではできません。

 しかし、政府が私に頼んでくるならば、もちろん私にはできるでしょう。しかしながら、政府がこの件に関し、無視して対応策を行う気がないなら、この問題の解決策は、この汚染地から一刻も早く引っ越すことが最善だと言えるでしょう。

 このように地球を長年に渡って汚染してきた支配者達の一部は、一時、火星に移住する計画まで立てていたくらいなのですから、その下で真実を知らされず目隠しをされて奴隷のように働いていた一般庶民ならば当然の如く、この造成地から離れて自然な地に、できるならば自然の摂理に生きてきた江戸の地まで戻らなければならないでしょう。

 もちろん、そのためには少なくとも土地や家などの不動産は捨てなければならない。「タダで?」と疑問に思う人は不動産価格の評価計算を知ってほしい。

 汚染された土地を評価する場合、まずその汚染を取り除く費用を計算しなければならないのです。

 その場合、その汚染土壌を現状のままでの化学的処理は不可能に近いから、まずその土地の上に建っている家を解体して、その廃材処理するまでの費用を含めて全ての費用を算出することになるでしょう。

 次に、汚染された土を全て掘り起こし、その土を無害にするまでの化学処理と最終処分地までの処理費用、そして新しく盛り土にする土壌代と造成地代・・・・。

 そのようにして、汚染されていない更地にするまでの全ての費用を計算すると、銀座のような一等地の、しかもよほど広い土地でないと汚染土地の不動産価値は評価上マイナス資産となるのです。

 つまり、汚染土壌に建てた家をタダで捨てて離れるのではなく、タダ捨てで逃げるという意味なのです。

 たとえば、まだ十分に使える電気製品であっても、その製品に有害な汚染物質が使われていることが判明したら、捨てる時は処理代を出してまでも引き取ってもらわなければならないのと同じ理屈です。

 とすれば、家や土地の不動産資産だけでなく有害物質を含んだ電気製品や家財道具などの動産資産も新しい移住地で生活する時にはマイナス資産となるでしょう。

 その事例をさらに拡大して言えば、汚染された有害思想を持つ者、あるいは悪の支配者達にマインドコントロールされた人々は、あの世でも、あるいは天国や他の惑星でもマイナス人間として来訪お断りということが分かってくると思う。

 では、そのような人の来世、あるいは近未来はどこへ?と問えば、特殊な限定されたゴミ捨て場、もしくは焼却場となってくるでしょう。

 というのも仮に全てが人々の自業自得の結果であったとしても、そのような原因のもとを作ったのは悪の支配者達といえますから、その責任が支配者達に覆い重なってくれば、彼等はその処分方法として自然の理から外れた方法を取ることになるのです。

 例えば、特殊な焼却場として悪の支配者達は核戦争を引き起こすだろうし、特殊な限定されたゴミ捨て場としてジェノサイドのような大量殺人を引き起こすでしょう。

 だから、そのような最終結果を導かないためにも現世において人々の誤った洗脳知識を正し、悪のマインドコントロールを解かなければならないのです。

 ところで、このように記述してくると、何となく文学的な表現に近づいてしまって、科学的な文章でなくなってくるように思われますが、科学は物質面だけを追及するのではなく、人間の意志や精神面に対しても科学的な分析を行うのが本来の科学だと思う訳です。

 つまり、我々日本人は明治を境にして、それまでの日本の歴史的土壌の上に明治以降の欧米流の産業廃棄物を堆積して、更に戦後、日本による戦災の被災国となった第三国の汚泥物を厚く土盛り、その上にロックフェラー産の重油でどす黒く汚れた米国の土を借り盛りして、米軍戦車でかたく踏み潰した造成地の上に・・・生活してきたようなものではないでしょうか!?

 このように我々が住む大地の下の土壌とは、過去の歴史が遺産物という形で地層を形成しているのですが、その地層の中に閉じ込められている世界を「地の獄」と言うとすれば、その逆にゴミや生き物汚染物を残さない自然の中の循環(リサイクル)世界は地表の上で輪のように回転しながらエネルギーを発散してる姿になることから、魂の世界とも呼べるでしょう。

 と言うのも、輪のようにエネルギーが永遠に回転しているならば、魂もまた生老病死という輪の中で回転して永遠に存在し続ける理から同じような現象に見えるからです。

 その魂が純化され、宇宙の中に満ちているエーテルの中に昇化された世界を天国、もしくは神界あるいは神の国と呼ぶことができるでしょう。

 地獄や天国、もしくは神界という言葉が非科学的用語とするならば、核戦争や有機物質の汚染公害、化学事故の大災害や原子炉事故等の放射線汚染など科学世界がもたらす人類の悲惨な絵姿を地獄という言葉以外に何と表現したらよいのでしょうか!?

 たとえば、“科学の末路”とか“科学世界の最終結果”とでも呼べばよいのでしょうか。とすれば、この世界の現実の真実を知った賢き人類は、地獄から天国へという言葉の代わりに「科学から○○へ」という言葉の世界に行かなければならなくなるでしょう。

 そこで、天国や神界という非科学的用語の代わりに、天界や神界の世界を表現した絵画や彫刻、音楽や踊りなど、そのような世界を私達は芸術世界と呼んでいることから、「地獄から天国へ」という用語の代わりに「科学から芸術へ」という言葉に置き換えて人生を考えて見る必要があるのです。

 すなわち、前述したように科学が生み出したゴミや汚染物質をリサイクルするエネルギーを純化してエーテル(宇宙)の中に昇化した精神エネルギーをもって造り上げた「芸術」が花開く時―それは天国のような理想世界である金星の花を象徴した向日葵が花開く時こそ、“科学から芸術”の真の意味が実証として、表現されてくるのです。

 ところで、私が『科学から芸術へ』を出版したのは1995年12月のことです。その2年前から公立美術館での私が描いた絵画と浮世絵の展覧会に対し、ある宗教団体からの政治的圧力が度々かかっていたのです。

 1994年9月、ロシア国立エルミタージュ美術館での展覧会開催の準備が始まった時、大手の二つの新聞社がこの快挙を一面トップのニュースで報道しようと水面下で競争しあっていました。

 やがて、ある大手新聞社の幹部数名が長野県大町市の私のアトリエに泊り込みで取材に来ましたが、この情報は出版社側を通してその宗教団体に流されてしまいました。

 すると、その宗教団体はこの大手新聞社に多額の広告を出稿し、新聞記事の差し止めをかけるという事態を起こしたのです。

 後に、『週刊新潮』が大町市のアトリエまで来ていたこの新聞社の幹部の一人の実名をあげて、「ある宗教団体によって、広告で紙面が乗っ取られた新聞社」という皮肉な記事を掲載しました。

 そして、もう一つの大手新聞社の場合は、その宗教団体のドンとこの新聞社のドンの秘密会談が行われたのです。そして私の活躍に関する報道を事実上ストップさせる流れをつくってしまったようです。

 この時の新聞社のドンは、記者時代に、日本の黒幕であった児玉(こだま)誉士夫(よしお)氏の子分だったという経歴を持つ人物だと言われています。

 さらに、この新聞社系列のテレビ会社のドンも同じく児玉誉士夫氏の子分だったと言われているから、日本の大手メディアの大半は世界の裏政府の手中に完全に植民地化されていたことになります。

 たとえば、この新聞社のドンと系列テレビのドンが引き起こした有名な事件に、ダム建設に関するある内幕本の出版妨害事件があります。

 この事件は児玉誉士夫氏が内幕本の著者を自宅に呼びつけた時に、児玉誉士夫氏の左右にこの新聞社とテレビ会社のドンが居座り、著者を脅かしたという事件で、この事件をある剛腕の毎日新聞記者に嗅ぎつけられて、すんでの時点で記事になるところをストップさせられてしまったという話です。

 もしこの顛末(てんまつ)が記事にされていたら、彼らは当然マスコミ界にいられなくなったでしょう。
そうすれば今のマスコミも国民の生活レベルもかなり良くなっていたかもしれません。

 もちろん、話はこれだけでは終わらないですが、私が出版した『科学から芸術へ』も、あらゆるあくどい手段で妨害されてきました。

 今日まで私の著作の流通手段が奪われているということをご承知の皆さんもいらっしゃることと思います。

 それにしても私の絵画の一般紙への広告出稿さえも難癖をつけて妨害するという現状にはあきれかえるほどです。

 もっとも、私の行動に対して必死に妨害すればするほど、かえって次々と、その行動や正体が白日の下にさらされてくるようになりました。

 これは、地球規模を超えての宇宙的な歴史の刻みを感じさせてくれるものです。

 すなわち、今という時は仏教で言うところの末法の断末期、キリスト教で言うところの最後の審判、天国と地獄の最終段階ですから、言葉を変えて言えば、ドストエフスキーの“美は世界を救う”という救済の芸術(天国の門)と最終末路の科学(地球)という世界の具現化が今となっている訳です。

 そして、“最終末路の科学”の始まりは、日本の広島と長崎に原爆が2つ落とされた時から始まりました。

 そして奇しくも、まるで2つの原爆の因果応報の如く、日本と太平洋戦争で戦った大国、米国と旧ソ連に原爆以上の悲惨な状況が地上に二つも具現してしまいました。

 それは、米国ペンシルバニア州とソ連邦ウクライナ・キエフ州に起きた原子炉事故です。

 現在、広島や長崎は、原爆が落とされたことが嘘だったかのように活気あふれる都市に復活していますが、原子炉事故があったスリーマイル・アイランドやチェルノブイリ周辺は、人の住めない死の町に変貌しているのです。

 そして、その地域の土壌は放射性物質で地球が終わるまで汚染されているのである。

 ここには科学の末路の姿があり、付近の住民は地獄の苦しみの中で死に、あるいはこれから死んでゆくのです。

 そこで、前述したように政府が対応策をこうじられない、あるいは世界の国々が無関心ならば、まず、タダでも諦めて住居を捨て、すぐにでもその汚染地から離れることです。

 もっとも、はた目から見ればそれが一番最善の方法と見れるのですが、当事者から見ればまったく酷な話だと思います。

 被災者達は地を呪い、天をも呪いたい気持ちでしょうが、その前に“科学の未来”イヤ、“科学の末路”である、原子力発電所がその地に設置されてから地獄の門が開いたことにもっと早く気付くべきでした。

 と言うのも、権力者たちが太陽や風、天からの水の恵み(エネルギー)を捨てて、地の中にある炎(放射線)を国民の糧(エネルギー)としたために地獄の蓋(ふた)があいて、地獄の炎が地上に顕れたからです。

 地獄の炎に焼かれた彼らの魂を地獄ではなく天国、あるいは神の国へと昇化するために誰がその魂を導き、あるいは天国への門を開くことができるのでしょうか・・・・・。

 ところで、原発事故はその大小によってレベル1から7までのランクがありますが、1979年に起きた米国ペンシルベニア州スリーマイル・アイランドはレベル5の原子炉の炉心溶融事故でした。

 恐ろしいことに、この原子炉は日本で使われている原子炉と 同タイプの軽水型原子炉なのです。

 と言っても、原子力発電の仕組みがよく分からなければ炉心融解事故が起きたという意味もよくわからないでしょう。

 そこでまず、原子力発電の仕組みを簡単に説明してみましょう。

 今日、電気を発電するには火力発電や水力発電、さらに風力発電があり、そして原子力発電があります。発電の仕組みは、皆さん方が小学生の頃に乾電池に小型モーターをつなぎ、電流を流してモーターを動かす実験をしたことがあると思いますが、その原理の逆、つまりモーターを回して電気を起こすという仕組みなのです。

 モーターを回すには初めは水力の力を使った。水車小屋の原理を考えれば分かると思いますが、大量の水を落下させて、その運動エネルギーをモーターの回転エネルギーに変え、そして電気エネルギーに変えるのです。

 水力の代わりに風の力を使って大きなプロペラの羽を回し、その回転エネルギーをモーターに直結して電気を起こすのが風力発電である。

 これらは自然の力を利用するので、自然エネルギー、最近ではグリーン(Green)エネルギーと呼ばれています。

 それに対し、火力発電は蒸気機関車と同じ原理で、罐(かま)の中の水を沸騰させて、その水蒸気の力でモーター(タービン)を回し、電気を起こすという仕組みです。

 水を沸騰させる燃料は昔は石炭、今は重油を主に使ったが、最近ではクリーン(Clean)エネルギーとして天然ガスを用います。

 原子力発電の場合は、ウラン235という放射性物質に中性子をぶつけて核分裂を起こさせ、その核分裂から生じる崩壊熱を利用して罐の中の水を沸騰させ、その水蒸気の力でタービンを回し発電する仕組みです。

 そして、タービンを回した後の蒸気は冷やされて再び原子炉に送り込まれます。

 それが繰り返されながら原子炉には絶えず水が送り込まれますが、万一炉内の水が減ったときは緊急時のために別系統から用意された多量の水が注入されて空だきを防ぐ緊急炉心冷却装置という安全装置が施されている仕組みになっています。

 ところが、何らかの原因で炉内の水が減ったら罐は空だき状態になり、超高温になるとウラン235の燃料棒や制御棒がドロドロに溶け出して罐の底に残っている水と反応して水蒸気爆発を起こします。

 燃料棒の超高熱の塊は鋼鉄の罐さえ溶かして地下にどんどん落ちていきます。そうなると、もう誰にも止められなくなります。

 この現象を映画から「チャイナシンドローム」と呼ばれて、今では炉心溶融事故の代名詞となっています。

 スリーマイル原発の場合も、設計と運転員の判断ミスにより、原子炉の中の罐が空だき状態になってしまいました。

 空だきが発生すれば緊急炉心冷却装置で罐に水を送り込まれますが、運転員はそれさえも切ってしまったのです。

 その結果、燃料棒や制御棒の一部が核分裂による 超高熱で溶けて崩れ、炉心溶融を引き起こしましたが鋼鉄の罐までは溶かすところまではいかなかったのです。

 それでも大量の放射性物質が周囲にまき散らされ、周囲8km圏に住む児童や妊婦に避難勧告が出され、数十万人が退避したのです。

 人は強力な放射線を浴びれば即死または数時間から数日で死にますが、現場から離れている住民は被曝(ひばく)後に吐き気や頭痛などの障害が起こり、やがてリンパ腺障害やガン、白血病などの放射線被曝特有の症状に襲われました。

 原発事故の恐ろしさは、直接的な放射線被曝だけではないのです。

 放出された放射性物質が大気から水、土壌まであらゆるものを汚染することなのです。

 土壌に染み込んだ放射性物質はやがて草や野菜、果樹の根から吸い上げられて植物内に蓄積するのです。

 また、汚染された水が川や湖、海に流れ込めば、魚貝類や海草が放射性物質能を取り込んで、人がそれらを食べれば当然、体内に放射性物質を蓄積します。

 さらに、汚染された草を食べた牛や豚などの肉や牛乳も危なくなります。

 このように、原子力発電は放射性物質を核分裂して、その崩壊エネルギーを電力に変えるシステムですが、一度扱い方を間違えると人類が破滅するような事態を引き起こすために、グリーンエネルギーでもなく、また燃焼した後にたくさんの放射性物質を生み出すために、クリーンエネルギーとも呼べないのです。

 それどころか、現在その破棄物処理が困難なために毎日、地球を放射能汚染している元凶ともなっているのです。いつか、人類はこの元凶によって地上に住めなくなる日を迎えることになるでしょう。

 ところで、原子力発電に使われるウラン235は、広島に使われた原子爆弾でお馴染みだと思います。天然ウランには、ウラン235やウラン238などの同位元素がありますが、ほとんどの天然ウランはウラン238で構成されていて、ウラン238は放射線を出さないのです。

 放射線を出すのはウラン235で、このウランは天然ウラン全体の0.7%しか含まれていません。そこで、その純度を3%以上に高めたのが原子力発電に使われているのです。

 その純度を高めるには、ウラン235とウラン238はが化学的な性質は同じでもわずかに重さが違うので、その重さの違いを利用して遠心分離機で分離します。

 そうやって遠心分離機でウラン235の純度をどんどん高め、90%以上にしたものが原子爆弾に使われるのです。

 北朝鮮やイランなどで話題になっている遠心分離機のニュースは核燃料や核爆弾の開発になくてはならないものだから注目されるのです。

 私は高校時代に化学クラブに入って様々な実験をしていましたから、遠心分離機を使って混合物質の分離などは日常的な実験の一つでした。

 それゆえ、原子爆弾の製造などは高校生時代に簡単に考えてしまいましたが、その後に米国の大学生が原子爆弾の設計ができたと世界中が大騒ぎしたのには逆に驚いたくらいです。

 何故なら、その大学生が考えた設計の中身と言えば遠心分離機で濃縮ウラン235を製造し、しかも濃縮ウラン235を核分裂反応させる方式が広島型原爆と同じ旧式のやり方だったからです。

 私はむしろ、効率の悪い遠心分離方式ではなく、ウランの濃縮液をスプレー方式で重力拡散して分離濃縮した方が簡単にできるのではないかと考えていたし、そうした遠心分離機とは違ったやり方でウラン235を濃縮して、次に濃縮したウラン235をウラン238で取り囲んで、その周囲を大量のTNT火薬で包むという設計を考えていたのです。

 その方法だとTNT火薬を爆発させた時に強い圧縮力が働いて、それによって核反応が起き、核爆発するという考えでした。

 この方法だと広島型原爆に使われるウラン235ほどに高純度にしなくてもいいと理論上考えられるのですが・・・・。

 さらに、ウラン235とウラン238、それにTNT火薬のそれぞれの量によって爆発力が大きく変わるので、戦略的な核爆弾として使用することができるはずなのですが、どうして専門家たちはそんな簡単な方法を考えないで、旧式な方法を評価するのか・・・・。

 今になって思えば、私の考えるような様々な方式は国家機密として隠し、公には遠心分離方式の濃縮技術による広島型の核爆弾の開発を普及させておくために大学生が設計できたと騒がしておけば、逆にその方法で核開発する国は、余計な製造コストや日数がかなり必要となり、しかも困難な技術のため大国からみて開発の手順がわかってコントロールしやすいのかもしれないと考えられるのです。

 たとえば、問題国が原子力に使う核燃料の濃縮技術に成功したという情報を得れば、その時の核燃料の質や燃焼エネルギーの効率を調査して核爆弾のための高濃度ウラン235の製造まであと何年かかるとか、あるいは核爆弾の製造にうまく成功するかどうかがすぐに分かってしまうからです。

 つまり、大学生でも設計できる方法という形で世界のニュースにしておけば、核開発を急ぐ途上国はこの方法をいち早く取り入れる道に入るからです。

 すると、核開発に莫大な施設と時間と金がかかるため、現実的には20年たっても30年たっても、一向にうまくいかないから、大国の支配下のままにいることになるのです。

 現実的にこの大学生の核爆弾の設計ニュースが流れてから40年以上も経つというのにいまだにイラン等の国における核開発が進まないのは、こうした理由からだと考えれば納得できるのではないでしょうか。

 とすれば、同じようにして、ニュートンの重力理論やアインシュタインの相対性理論を世界の教科書にしておけば、優秀な科学者は反重力ロケットとか重力エネルギーとか、訳の分からない研究に埋没してしまい、かえって宇宙の原理の真実がみえなくなってしまうのです。

 すると、世界の支配者達が、コロンブスのアメリカ大陸発見のように彼ら支配者だけが月や火星に行って宇宙人たちと交渉し、独占した形で宇宙時代の幕開けを開始することができるという訳です。

 そして、ニュートンの古典力学やアインシュタインの理論の間違いに気が付く、もしくは磁力エネルギーの応用や活用に気付いた人に対しては早い内にその芽をもぎ取ったり、秘密の火星計画に参加させるなりして支配者達の配下の研究員にしておけば、地球人類を人間と家畜、すなわち支配者と奴隷という主従関係で地球を永遠に支配できることになるのです。

 そして、それを確実なものにするためにワクチンの中にマイクロチップを入れて脳の中に混入させ、人間ロボットに改造させてしまえば、もはや支配者達に抵抗する者はいなくなり、戦争を嫌う宇宙人達の干渉を避けさせることになるのです。

 このような推理が私にとって真実であることは、1977年に私が出版した『七次元よりの使者』が小説でありながら、その本の中で、ニュートンやアインシュタインの理論の誤りを指摘して重力の代わりに3種の磁力やそれによる多次元世界、さらに、その世界を統括する三次元コンピューターなどを記述しているために、前号で紹介したように、火星計画を裏でコントロールしている組織と思われているスカル&ボーンズの勧誘を受けてしまった・・・・・と推理されるのです。


 チェルノブイリの実態

 1986年4月26日、人類史上に残る悲劇は起こった。ウクライナ(旧ソ連)キエフ州北部にあるプリピャチ市のチェルノブイリ原子力発電所4号炉(写真1)で起きたレベル7の火災爆発事故と炉心溶融事故である。

01.jpg
(写真1)チェルノブイリ原子力発電所4号炉。

 人為ミスの事故により、炉心の水蒸気が爆発。炉の蓋も建物の一部も吹き飛んで炉心がむき出しになった。

 高熱で炉心の制御棒である黒鉛が燃えて9日間以上も燃え続けた。チェルノブイリ事故では約3億キュリ(スリーマイル原子炉事故の時の放射線量250万キュリーの100倍以上の量)が計算された。

 被害者の数も放射線の汚染区域の範囲もスリーマイル事故よりもはるかに大きく、人類史上最大の原発事故となった。

 放出された放射性物質が100種類以上にも数えられるが、その中でも、放射線セシウム137は半減期が30年と長く、さらにプルトニウム242などは半減期が37万6000年と気が遠くなるような年月を過ぎないと、その毒性が半減しない。

 半減期とは、その放射線量が半分に減少する時間のことで、セシウム137の場合、その放射線量が半分に減るのが30年、またその半分の量の減るのが30年というように放射線の量は少しずつ減少してはいくものの、ずっと放射線を出し続けてゆくことになる。

 プルトニウム242の場合は半滅期が37万6000年だから、4分の1の量に減少するためには75万2000年、その半分に112万8000年、そしてさらにその半分に・・・・と、結局は地球が終わるくらい半永久的に放射線を出し続けることになる。

 そこで問題は、チェルノブイリ事故で放出された放射性物質の量である。

 計算によると、大気圏内に放出された量は430万キュリー以上で、これは広島型原爆で発生した放射線量の実に1500倍以上にも相当する。

 実際、国際的に権威ある米国のローレンス・リバモア研究所がチェルノブイリから検出された死の灰は過去に人類が行ってきた核実験の全てを合計したものに等しいと言う発表をしている。

 核実験の中にはたくさんの死亡者や被害者を出したネバダ砂漠やビキニ環礁の実験も含まれる。

 放出された放射線物質(死の灰)は欧州全域はもとより、事故1週間後には8000km離れた日本にも飛来、さらにハワイでも検出されて北半球全体で放射能が検出されるなどチェルノブイリ原子力事故は世界的規模の放射能汚染をもたらした。

 チェルノブイリ原発事故がどれだけの大惨事であったかを理解するには、まず死亡者の数であろう。

 当時の日本の新聞をみると事故から40日くらいたった6月6日に死亡者数が26人と発表していた。そして12月の末になってチェルノブイリ事故の死亡者の総数は30名と発表された。

 それゆえ、日本の百科辞典の中にはチェルノブイリ事故で亡くなった死亡者数は31名と今でも記述されているものもある。

 だから日本人にとってチェルノブイリ原発事故を広島や長崎の原爆惨事と比較してあまり大きな問題と考えられなかったのであろう。

 ところが、6月6日の日本の新聞にあった死者26人という数字は、実はソ連機密1986年6月4日付けの議事録21号の下書きに沿ったものなのだ。

 そこには「医療施設に送られた人々は全て検査され、急性放射線障害と診断された原発職員は187人で、その内24名(事故当時は2名)が死亡したことにする。

 また病院に収容された住民は子供も含めて放射線障害の診断は確認されなかったことにする」と記述されていた。

 つまり、26人の死者とは原発事故現場にいた原発職員だけのことで消防士や軍人、民間人の死者は含まれていない。実際には原発職員だけでなく数多くの軍人や民間人が死んでいる。

 病院には子供を含めて放射線障害者がひしめきあっていた。

 それゆえ、事故当時の海外の新聞では死者2000人という報道がなされていたのである。

 私の古くからの友人であるロシアのヴァレンチノ・ヴァレンニコフ元帥は、当時のチェルノブイリ原発事故処理の総指揮官であった。

 彼はプーチン大統領の側近で、ソ連時代を含めて35年間元帥の地位にあり、ロシアの英雄協会の会長である。(写真2)

02.jpg
(写真2)3枚の写真ともプーチン大統領とヴァレンニコフ元帥。

 私は、日ロ協会の頼みに応じて鳩山由紀夫日ロ協会会長(現首相)をモスクワのレストランで彼と引き合わせた。

 その後、私がヴァレンニコフ元帥を日本に招待した時に、鳩山氏は20名以上の国会議員を集めて、ヴァレンニコフ元帥を歓迎してくれた。(写真3)

03.jpg
(写真3)中央がヴァレンニコフ元帥で、その向かって左に鳩山由紀夫代議士。右から4番目が筆者。

 そのような関係から、プーチン大統領の来日の折には、小泉首相より先に鳩山氏と30分の対談をヴァレンニコフ元帥も協力してセッティングしてくれたほどの力のあるロシアの伝説の人である。

 紹介が長くなったけれど、そのヴァレンニコフ元帥がチェルノブイリに現地入りした1986年5月初めの時点で既に原子炉の事故の死者は180人を越えていたと私に証言してくれた。

 さらに彼は、数十万人の軍人がこの原発事故処理にあたったが、想像も付かないほどの人々が死んだと述べた。

 この件を語る時、彼は口をつぐむ。

 多くの仲間達や部下を失ったからである。
 公人なため、死亡者の数字は語れないが、数万人から数十万人の規模で犠牲者が出たようである。

 つまり、被害の状況が分かりやすい原爆の直接的被害と違って原子力発電所の事故の被害というのは企業論理や政府官僚の意向が働いて大部分が隠匿されるゆえ、被害が過少に見られがちである。

 後にチェルノブイリ事故で死んだその総数は国際原子力機関(IAEA)では4000人と報告されたが、あくまでも原子力を推し進める企業体の言い分であって、まともに信じられる数字ではない。

 世界保健機関では9000人と発表し、国際ガン研究機関では1万6000人と推計する。

 しかし、ヴァレンニコフ元帥の証言からもわかる通り現場では何万人、何十万人という数が言われている。

 ある専門家によると被爆死者の総数は過去およびこれからを含めて50万人という。

 現にウクライナだけでも被災者は260万人にものぼると言う悲惨な数字である。

 同事故がいかにすさまじかったかは、今も残る放射線の影響のため原発周辺30km圏内が立ち入り禁止になり、500 もの市町村が無人化して消滅していることでも理解されるだろう。

 さらに国土のほとんどが汚染されたベラルーシでもどれだけの被害者がいるのか見当も付かない。

 つまり、今も1000万人にも近いという人達が生きるか死ぬかの苦しみを味わっているだけでなく、東欧や西欧の広範囲の土壌が今もなお放射性物質で汚染されているということであり、それが二次災害としてそこに住む人々を亡霊のごとくこれからずっと苦しめていくということである。

 この警告の言葉が文学的表現としてではなく現実のものとして、たとえば、事故から1年過ぎて日本で売られているフランスやスイス、デンマークなど欧州産チーズやビスケットの放射能を測定したところ、予想通り多くの食品から放射能が検出され、欧州各国の農産物や牛乳が汚染されているのが確認された。

 前述した放射性物質の半滅期で計算していけば、人類が滅びるまで呪われた土地の上に多くの住民が住まなくてはならないことがわかってくるだろう。

 別な言い方をすれば、将来起きるかもしれない食料危機に対し、世界の支配者達は汚染されていないアジアか南半球の地、もしくは火星にでも行かなければ子孫末代まで生存できなくなると真剣に考えていることでも、その被害の大きさがわかるであろう。

 すなわち、各国住民は原子炉事故による直接的な被曝と食物を通しての間接的被曝という二重の被曝を余儀なくされ、その結果として今もガンをはじめとする様々な放射線障害を受け子々孫々までの遺伝障害の危険にさらされている運命にあるのだ。

 そして、問題の原子炉事故の4号炉は現在コンクリートで覆われているが、ヒビ割れなどが深刻化しており、1997年にウクライナ政府は西側諸国と改修に合意した。

 しかし資金難などから早期の解決は困難とされていたが、2005年5月の国際会議で総額約11億ドルの支援金が決まった。

 日本は5%に当たる約65億円を分担する。2009年に完成する予定の新シェルターは鉄骨製で高さが100mのドーム型になる。

 このチェルノブイリ4号炉の支援活動の中心となって動いてきた人が、EUの環境顧問であるモルタワ氏であった。彼は日本と交渉して4号炉の支援金を出させたそうである。

 チェルノブイリ4号炉の事故処理プロジェクトのリーダーであるモルタワ氏は18歳で博士号を取り、国際的にも名前の知られた秀才である。

 その彼が中学時代から地質学専攻だったというので、私は因縁を感じ、彼も私の肩書と経歴を知って本物の天才だと感じて直ぐに会うことが決まった。

 もちろん会う前から彼と息が合うことを感じていた。

 と言うのも、実は私も中学1年の時は地質学クラブに入っていたからだ。

 科学と自然に興味があった私は地層や地質を調べて、古代生物の化石や石器時代の土器や生活品を発掘することや、造山運動の変動などを研究しに近くの山や奥多摩の山々や河川、さらに信州の北アルプスから東北地方の出羽山脈まで各地に月に1~2度程度の頻度で出かけていたものだった。

  もちろん、地質調査の最大の目的はアンモナイトなどの古世時代の化石や白亜紀の恐竜の化石、そして鉱物や宝石などを発掘することであった。

 日本では地質学的にダイヤモンドは取れないと記述されていたが、南アルプスなら地質的に可能と考え、5万分の1の地図を広げては特定な場所を見つけて旅行することを夢見ていた。

 今でも、その地図上の場所はよく覚えており、後にその場所に実際に行ったのか、それとも夢でその場所を見たのか、その町の様子がおぼろげな記憶として残っている程である。その記憶は私にとって懐かしく、心に残る記憶だった。

 そして、私もドイツのように飛び級制度の教育システムの中に生まれていたら、中学生のうちに大学に進学し、高校1年の時に博士論文の研究に入って、17歳でたくさんの博士論文を提出して博士号を取得できたと思うから、私の別な生き方を彼に見る気持ちだった。

 18歳で博士号を取ったモルタワ氏は炭鉱の現場に自らいきなり入ったそうである。

 まるで、ゴッホのような精神だなと私はその話を聞いたときに感じた。

 もっとも私も高校を卒業してすぐにリヤカーを引いて、廃品回収の仕事、というよりも底辺の社会勉強をしたと思っているから、彼のその気持ちがよくわかる。

 つまり、あまりにも若くして秀才、もしくは天才の才能を持ったりすると、自分の前にあるのは神仏しかいなくなり、それゆえ、かえって才能に驕れることができず、そこで自らの人間形成のために社会の底辺に身を置いて精神を鍛えようとするものなのである。

 私にとってくず鉄や金属の回収産業の仕事の体験は、後にリサイクル運動の大きなきっかけとなった。

 彼も炭鉱の現場で働いたから色々な体験と勉強ができたと思うし、末端の現場の現実を知ることは人生や人間形成に大きく役に立っただろうと思う。

 彼はその後に会社を作り成功したが、社員が多くなると人事問題で嫌気がさし、会社を10億で売ったと言う。

 そして、やりたい仕事、特に環境問題やエネルギー問題等のエキスパートとしてのコンサルタント会社を少数精鋭主義で経営をしているという。

 私はチェルノブイリ4号炉の事故によるガンや特有の病気にかかった人たちの救済をライフ・ワークとしていたから、チェルノブイリ事故20周年を翌年に控えた2005年、チェルノブイリ原子炉に行く計画を立てていた。

 それゆえ4号炉の内部や近況の情報や協力をモルタワ氏から得たいと思っていたのである。

 それと同時に、東海地震が起きた時にチェルノブイリ4号炉のような事故が起きる危険性が最も大きい原子炉として、浜岡原発がずっと気にかかっていたからだ。

 というのも、原子力発電は大量の水を使用するため、海辺に建設される場合が多い。

 しかしながら海辺の平坦な土壌というのは、泥や砂が堆積して地層を造り上げているわけで、特に砂質の地層の場合、阪神大震災でも分かるように地層が液状化して流動現象が起きてしまう。

 そのため、地震が起きると揺れの被害が大きくなり、最悪の場合はチェルノブイリ原子炉事故のように炉心融解を起こしてしまう。

 そうなると日本はおろか、風向きによっては韓国、中国まで広範囲に放射能汚染が広がり、歴史的な最大の大惨事となってしまう。

 だからといって、原子炉を止めたとしても大地震によって放射能で汚染された物質が飛散すれば周囲の住民に大きな被害を与えることになる。

 それゆえ、東海地震の危険性が叫ばれている中、一刻も早く問題の浜岡原発を安全に解体する必要があるが、日本には原子炉を解体する技術も経験も無い。

 そこで、この危険な原子炉を日本の安全のために解体しようと考えて、この分野における国際的な解体会社と、そのコンサルタント会社のリーダーであるモルタワ氏と日本で会うことになったのである。

 その仲介役としてドイツで通訳していた日本人が、この件の説明のために日本にやってきたので、私は浜岡原発の危険性を政府や議会に認識してもらうために2005年5月24日に、当時与党だった自民党幹事長の武部氏や古賀誠氏等に引き合わせ、26日には野党第一党の鳩山由紀夫・民主党議員(現首相)に引き合わせた。

 特に鳩山由紀夫議員の場合は、わざわざ忙しい中をキャピタル東急まで来てもらって、約1時間話し合った。

 私は鳩山議員に原子力発電の代替として風力発電の提案をした。

 鳩山議員の秘書は鳩山カラーを押し出すための良い提案だと賛同してくれた。

 そこで私はこの『ザ・フナイ』の紙面を借りて、鳩山政権が掲げる25%の〖CO〗^2(炭酸ガス)削減の政策の中身について、グリーンエネルギー(風力発電、太陽光発電、水力発電など自然エネルギー)による代替を強く要望するもので、決して原子力発電を増設してはならないと訴えたいのである。

 現状での原子力発電はクリーンエネルギーではない。

 環境にも優しくないどころか、超危険である。

 しかも最も人工的で最高の技術を要するもので、その技術を科学の最先端技術の進歩の証と考えてはいけない。

 というのも、地球の科学はまだまだ幼稚で、それは精神や思考がまだまだ“人間”のレベルに達していないことから生じるものだと思う。

 そのような状況の中で原子力発電をするということは、子供が火薬を少しずつ燃焼させてお湯を沸かそうとするようなもので、危険極まりない。

 それなのに原子力発電が安全で、さも未来エネルギーのようにマスコミが宣伝するのは、バックにスポンサーがあるだけで、必ずしも正しい情報の報道ではないのだ。

 そこで、現状の原子力発電の正しい情報を国民に知らせるために、この問題を長年追及してきた『週間現代』専属の恩田記者と連携を組むことにした。

 まず手始めに、原子炉事故がどれだけ危険であるかを日本国民に知ってもらうために、ウクライナ国のチェルノブイリ原発事故の悲惨さを取材して報道する計画を立て、そして実行した。

 その模様は2006年4月14日発行の『あおぽ』(秋田県内で発行されているフリーペーパー)で4回に分けて特集しているので、その記事からそのまま掲載する。


 今年3月19日国際ジャーナリストで、しかもあおぽでおなじみのゴッホの日本文字解読者である五井野正名誉教授(ウクライナ国立ポルタワ工科大学名誉教授・ウクライナ国立芸術アカデミー名誉教授)を団長として週刊現代記者とその専属カメラマン、

それとウイッピータイムス編集長とアートメディア委託TVカメラマン、

さらにロシアからはタス通信副編集長、そしてアルメニアからはロシア自然科学アカデミーアルメニア支部総裁であるメリック博士、

そして現地ウクライナからはチェルノブイリ原発専門の通訳が加わって4カ国の総勢8人で結成されたチェルノブイリ原発事故国際調査取材班がウクライナ国のチェルノブイリ原発4号炉へと向かった。

 先ずチェルノブイリに向かう途中30キロ圏内の検問がある。ここからは許可証なしでは入れない。

 と言うのも、この30キロ圏内はいまだに残留放射能の影響で人が住めない地域だからである。

 許可証を見せて30キロ圏内に入り車を走らせていると、道路の両サイドには無人の建物が次々と見えてくる。

 そして原発から18キロメートルの所にチェルノブイリの町はあった。

 無人の町かと一瞬思ったが、人々の歩く姿が眼に映る。ここからチェルノブイリ原発に仕事に向かう人たちや規則を破って町に戻った人たちの姿だ。

 ここで立ち入り禁止区域内管理事務所所長を乗せていよいよ目的のチェルノブイリ原発に向かう。

 途中、放射能測定器は20マイクロシーベルトのレンジを上下する。

 チェルノブイリ原発から約2キロメートルのところにプリピャチ市がある。

 かつて原発に勤務していた人たちがこの町に住んでいたが、事故の翌日にバス1000台で強制的に集団疎開させられた。

 今は無人の廃墟のゴーストタウンとなった。ここにも検問所があり、中に入ると無人のアパートやホテル、そして遊園地が雪の中に時を過ごしていた。

 今年はチェルノブイリ原発事故20年とあって各大手新聞社が競って取材合戦を繰り広げた。

 先ず読売新聞が3月7日の夕刊トップで「放射線なお許容の90倍」と言う見出しで原発から4キロメートル離れた廃村の幼稚園前で10マイクロシーベルトを記録した、と報道した。

 すると対抗する朝日新聞は3月22日の夕刊トップで「放射線振り切れる針」との見出しで原発の西1・5キロ地点で計測器を測ったところ1時間当たり30マイクロシーべルトを超えたと報道した。

 トップ記事の内容は事故原発より4キロから1・5キロ地点まで近づいた訳だ。

 さらに翌日の3月23日の毎日新聞夕刊トップで事故のあった4号炉の石棺から500メートル手前で計測したところ1時間当たり2・06マイクロシーベルトであったと報道するに至った。

 それにしても1・5キロから500メートルまで近づいたのに4号炉の石棺に近いほうが放射線が低いとは変な話である。

 それについてチェルノブイリ原発事故国際調査団の団長である五井野博士は、場所や方向によって放射線量に大きな違いが生じることはある。

 しかし500メートル手前で2・06マイクロシーベルトとはあまりにも低い数字だと言う。

 実際、調査団は4号炉から800メートル程手前にある5号炉付近を走るバスの中で186マイクロレントゲン(18・6マイクロシーベルト)を測定していた。

 しかも毎日新聞が載せたカラー写真は森の彼方に浮かび上がった4号炉の姿で、これはかなり遠方から4号炉を望遠で撮った写真と判断されるのだ。

 しかし大手新聞の取材記事をよそに、既に五井野博士を団長とする調査団は3月19日に4号炉200メートル手前と4号炉の中に突入していたのである。

04.jpg
(写真4)チェルノブイリ原発4号炉から200メートル手前に立つ著者。

 五井野博士 (写真4)で見ると4号炉は(私から)少し遠くにあるように見えますが、カメラは広角レンズですからこの写真のように写ります。

 しかし、この場所での放射線量は計測器で測定したところ290マイクロレントゲン(29マイクロシーベルト)を記録していました。


 あおぽ編集長 朝日新聞の一面トップ記事の危険数値だと言われた30マイクロシーベルトに近値していますね。

 五井野 ええ、近いですね。しかし、4号炉周辺では場所によって500から3000マイクロレントゲン(50~300マイクロシーベルト)の数値だと言われています。

 放射能汚染されていない場所では一般に1から2マイクロレントゲン程度です。

 ですから4号炉周辺は今でも非常に放射能で汚染されている地域だといえます。

 幸いに我々一団は雪のおかげで、つまり積雪によって土壌の放射能塵が風によって拡散されない状況だったから、まだこの様な低い数値で済んだと思います。

 しかし、それにしても30マイクロシーベルトの放射線量となると、やはり人体に危険ですから、のんびりといろんな場所を撮影したり記念ポーズを撮ったりする余裕は全くなかったのです。

 居れば居るほど、分単位で放射能をどんどん浴びるわけですから。

 例えばバスで4号炉発電所にどんどん近づいただけでも、メンバーの人たちの顔がみるみる赤くなって日焼けした感じになったくらいでしたからね。

 特にタス通信者の顔には帽子の痕が赤くくっきりと残ったことが印象的でした。

 もちろん私が開発したGOP(五井野プロシージャー)クリームを塗ってすぐに治りましたけどね。

 でも取材人たちはそんなことなど全く気にしない感じで、ともかく4号炉の中に入れるかどうかだけしか考えていなかったみたいですね。

 今回のメインイベントは我々調査取材班の主力部隊である週刊現代の専属カメラマンとその記者、アートメディアの委託TVカメラマンが死の4号炉の中に入れるかどうかが最大の問題でしたが・・・もちろん入れましたよ。

05.jpg
(写真5)チェルノブイリ4号炉の中のコントロール室。

 あおぽ えっ!事故炉の中(写真5)に入ったのですか。一番危険な場所だと思いますが。

 五井野 もちろん一番危険な場所です。運が悪ければそのまま病院行きで日本に帰れません。

 私は週刊現代のカメラマンはともかくとしてアートメディアの委託TVカメラマンには無理しないでくれと何度も言いました。

 結局「入る」の一点張りで自己責任で行くことになりました。

 その結果、彼の撮影したビデオはテレビ局の争奪戦となり、彼はビデオジャーナリストとして一躍ヒーローとなったわけです。

 そんな訳で4号炉に入る記者とカメラマンを連れて4号炉発電所事務所まで私達は同行しました。そして取材陣が4号炉の中に入っていくのを見送るとすぐにバスの運転手は猛スピードでこの場所を離れました。

 4号炉に向かう時はゆっくり運転だったのにね。後で知りましたが、チェルノブイリ市にある管理事務所の女性責任者が前日亡くなったということでした。だからでしょうね。

 運転手や事故炉管理責任者があわてて戻ったのは放射能の影響を恐れてでしょう。

 12~13キロ離れたチェルノブイリ市にある管理事務所に戻ったときには全員頭が痛くなりました。もちろん放射能の影響です。

 そして、30分後、また、4号炉に向かい4号炉取材に成功したカメラマンや記者たちをバスに乗せ、さらに4号炉の周囲を回って4号炉手前200メートルまで行きました。

 その時の写真が前出した写真です。

 あおぽ 大変な写真ですね。
 この写真だけでも一面トップの大スクープになりますよね。

 ところで朝日新聞など大手新聞記者が1km手前しか取材できなかったのは許可が下りなかったからですか?それとも危険だったからですか?

 五井野 両方でしょうね。
 どんなにしても政府の許可は300m手前までしかでません。

 4号炉の周辺を回って300mよりもっと前に行くには昨年の12月からテロ対策の理由から許可を得るのはほとんど無理といっても良いでしょう。

 各国のマスメディアがチームを組んで取材を試みても結局は原子炉発電所敷地内である300メートル内には入れなかったのです。

 私は平成9年にキエフで「ゴッホの愛した浮世絵と歌川正国(五井野正)展」を開催し、このような災害を二度と起こさないように世界へ訴え、自己資金で開発したGOP(五井野プロシージャー)でウクライナ国立オンコロジーセンターの重病癌患者や白血病で苦しんでいる子どもたちを救済したことがあります。

 この子どもたちが奇跡的に回復していく姿がテレビ番組の特集でウクライナ周辺国や欧米にまで紹介され、私は現地でヒーローになりました。

 ですから科学アカデミーの総裁をはじめ国会議員の人たちは皆さん私のことを知っていて調査取材に協力してくれました。

 あおぽ それにしても大手マスコミでも4号炉敷地内の許可を得るだけでも無理なのに更に4号炉に入るとは凄いことですね。

 五井野 私の場合、メリック博士(ロシア自然社会科学アカデミーアルメニア支部総裁)の努力で政府関係者や公安、原子力発電所の管理者から特別に許可をもらったから入れたと言えるでしょう。

 アインシュタインやピカソなど特別な人が調査したいから見せてほしいと言えば許可してくれる場合があるでしょう。

 特にソ連時代には英雄に対して特別な許可や待遇をする習慣がありました。

 この名残りが今も根強くロシア、ウクライナに残っているからだと思います。

 あおぽ 200m手前の写真や4号炉内の写真、ビデオフイルムは世界中のマスメディアが注目していると聞きましたが。

 五井野 ええ、200m手前の私の写真は世界的に有名なタス通信社が記事と共に各国に流す予定になっています。

 また4号炉の中の撮影フイルムは今回の件を知った二つのテレビ局が争奪戦のように取り合いになりました。

 結局テレビの場合はTBS系列で4月24日以降にいろんな番組で放映されることになり、週刊現代でもカラーグラビアと本文で大特集されることになっています。

 あおぽ ところで、どうしてこの様な危険を冒してまで4号炉に行くことになったのですか?

 五井野 これは私の一つのライフワークでもあります。日本は広島や長崎に原爆が落とされた唯一の原爆被災国です。

 日本は原爆、ウクライナは原子炉事故と被害の理由は違いますが放射能被爆の被害と言う点では全く同じだと思います。

 同じと言うよりはチェルノブイリ原発事故の方が広島・長崎の原爆よりはずっと被害が大きい。

 ところが旧ソ連という国の惨事だったからなのか、あるいは原子力政策の推進に障害となるのか、世界の国々はこの原子炉事故被害者を見捨てて大きな支援活動をしていない。

 そこで私はチェルノブイリ事故10年目を期にウクライナに行って救済活動を始めました。

 あおぽ そういえば先生は広島・長崎の原爆の平和論文をチェルノブイリ事故から10年目に 発表していますね。

 この論文は米国やロシア等の国々で多くの人に感動を与えたと言われています。

 そしてロシアの世界百科事典にも全文掲載されるということで博士の名前は歴史の人になりました。

  私はあの平和論文の中で「ヒロシマ、ナガサキの原爆の光を見て地球に降り立ったという意識が再びチェルノブイリという地球的汚染の中に生身の私自身を飛び込ませるのである」と言う言葉に感動しました。

 五井野 ありがとうございます。私はその言葉通り、9年前にはウクライナのキエフやポルタワで芸術家として絵画の展覧会を通して、さらに私が開発したGOPでキエフの国立がんセンターやポルタワの州立がんセンター、ホスピタル(生涯の最終病院)等でガンや白血病に苦しむ人たちを助けてきました。

 あおぽ 知っています。末期ガンの50人の子供たち全員がGOP(五井野プロシージャー)を飲むだけで2・3日でベットから起きて病院の中や外を走り回り、どんどん奇跡的に治っていく姿が現地のテレビ番組で色々流されましたね。

 特に感動したのは「救済者」と言うタイトルの30分のドキュメント番組です。血圧が0から20で今日にも死ぬ老婦人をGOPで奇跡的に治していく姿が印象的でした。

 あおぽは秋田市内のホテルで博士の講演会と共にこのドキュメンタリーを上映したことがあります。

 五井野 そうですね。でも、その件については後で述べたいと思いますが、それから10年が経ち、そして、今日チェルノブイリ原子炉事故20年目を迎えました。

 20年も経つともう殆どの人がチェルノブイリ原発事故は過ぎ去った過去として、放射能もないと思っているのではないでしょうか。

 しかし、放射能は何百年、何万年と残り続けます。

 また低レベル放射線の被爆でも20年後にはガンとなって現れてきます。

 ですからジャーナリストは現地を訪れてチェルノブイリの現実の姿を世界に知らせなければなりません。

 その件もあって私は前から念願だった原子炉4号炉をこの眼で見ることと、原子炉事故の大惨事を直接に私の身体で感じる必要性を考えていました。

 つまり、私の生身の身体で現地の人と同様に放射線を浴びながら少しでも被災者の苦痛や恐怖等を理解し、それを世界の人々に訴えることが責任あるジャーナリストの立場と思ったからです。

 平和・平和と題目のように唱えても言うは易く行うは難しいですからね。

  そして身をもってこそ人々の共感を得られるというもの。

 ですから現地に来てどうしたらこの様な惨事が二度と起きないのかを考えたり、また、どうやって放射線によって受けたダメージを元に戻すかの方法を見つけ出すことが大きな目的でした。

 あおぽ と言うと、やはり4号炉に行った後の放射線の影響はあったということですか?

 五井野 私の場合は頭が少し痛くなったのと身体や顔が少し浮腫んだこと、そして何よりも足の動脈血管が浮いて靴擦れして痛くなったことです。

 又鼻血も何回も出ました。

 そして全員が共通することは日本に帰って2・3日は階段を上ることがきついということでした。

 もちろん4号炉に行く前に全員に私の開発したGOPを飲ませたり、顔や首、手など空気にさらされる場所にはGOP(五井野プロシージャー)クリームを塗ったりしていたから症状はかなり軽く済んでいると思います。

 それでも放射線の影響は多少今でも残っています。

 でも一番危険なのは、低レベルの放射線を長く被爆した場合、数年あるいは10年、20年たってから突然に白血病やガンに侵されることです。

 あおぽ どうして後から症状が出てくるのでしょう?

 五井野 それは放射線が遺伝子を壊してしまうからです。

 多くの細胞は遺伝子が壊れることによって死にます。

 しかし中には死なない細胞も出てきます。

 それがガン細胞化して増殖するのですが人間が元々持つ免疫力によって阻止されます。

 しかし免疫力のほうが弱いと生き残ったガン細胞はどんどん増殖して数センチ位の大きさまで巨大化してきます。

 しかし、この大きさまでなるには10年20年と時間がかかるのです。

 それもGOP(五井野プロシージャー)を飲むことによって防ぐことが出来ます。

 防ぐことが出来ると確信しているからこそ、あえて危険な場所に行けたと思います。

 またウクライナ政府や事故炉の管理者もGOP(五井野プロシージャー)がガンの予防薬や治療薬に大変効果があると理解しているからこそ私に特別に許可をおろしたとも言えるのではないでしょうか。

 地震やその他の天災事故、人為的事故やテロによる破壊、そして戦争になったら真っ先に攻撃されるのが原子力発電所です。

 しかも毎日、原子力発電所から放射能廃棄物が生産され、それを回収し処理することがまだ技術的に未完全の状態ですから、その廃棄物も人類にとって大いなる脅威なのです。

 かつてのPCBやダイオキシン、アスベスト等とは比較にならない問題です。

 ですから原子力に変わるエネルギーを他に探さなければならないのです。

 環境先進国ドイツではチェルノブイリ原子力事故の後、原子力発電の建設をストップしました。

 代替エネルギーとして天然ガスが選ばれました。

 ガスは石油や石炭と違って環境にクリーンですからね。

06.jpg
(写真6) 週刊現代のチェルノブイリ事故特集記事。

 4号炉取材は週刊現代(写真6)、TBSの筑紫哲也NEWS23(4月24日)、他番組でも報道された。

 週刊現代の記者は30年前から浜岡原発の危険性を警告する記事を書いていたという。

 彼は今度の特集記事でチェルノブイリ事故の10秒前に起きた地震によって制御棒が挿入できなくなり核分裂反応が止まらなくなったことが大事故に繋がったと主張している学者の説を紹介して、日本の70年代に稼動した浜岡原発など初期の原発が手抜きやデタラメ工事などで地震に対して危険であることを指摘したのだった。インターネットでも浜岡原発を設計したという人物が、
一・浜岡2号炉の耐震計算結果は地震に堪えられない。
二・直下型地震が起きると核燃料の制御が出来なくなると告知している。

 もしこれが事実なら浜岡原発は地震によってチェルノブイリ原発事故と同じような大惨事を引き起こす可能性がある。

 そうなると日本全土は強度の放射能を浴びて全滅である。

 また筑紫哲也のNEWS23ではガンに苦しむ子供たちの救済活動などがロシアのアカディミーや政府に評価された人物として五井野正氏の名前がロシア芸術アカデミー名誉会員の肩書き入りの字幕と共に映像で紹介され、彼の協力によってこの番組の取材が実現したと報道した(写真7)。

07.jpg
(写真7)チェルノブイリ原子炉に向かう途中でのテロップ。
TBSの筑紫哲也NEWS23の番組から。

 そして内容は同じくチェルノブイリ事故の10秒前に地震が起き、それも緊急運転停止の制御棒が降りている最中であったと言う重大な証言が明らかにされた。

 しかも、番組は更に地震が起きたら再び危険な放射能汚染が起きる危険性があると指摘しているのである。

 五井野教授は地震だけの問題ではなくチェルノブイリ事故に関して4つの大きな問題を指摘している。それは、

 1にチェルノブイリ原子炉事故で拡散した放射能が今も人類に大きな脅威を与え続けていること。

 2に今も膨大な数(数百万人から数千万人)の被災者が貧困と病気に苦しんで、誰も助ける人がいない状態におかれていること。

 3にチェルノブイリの原子炉事故が他人事の話ではなく、これからも世界各地に建設された原発にも起きうる教訓を与えていることや、日本にも同じような危険な原発が存在していること。

 4に原子力発電は発電にコストがかかりすぎることや、原子力発電所から毎年出る多量の原発の燃えカス(使用済み核燃料)が人類にとって危険な高放射能物質で安全な処理が困難なこと。

 それゆえ住民環境に悪影響を及ぼすだけでなく、重大な事故を引き起こす可能性があることなどである。

 と、以上の原稿は『あおぽ』の記事から抜粋しました。

 そこで今度は日本の原子力発電の問題を考えると、まず最も危険な原子炉として東海地震の震源域と予想される静岡県の中心部に設置された浜岡原子力発電所が指摘される。

 この原発が運転開始したときには、150年から200年の周期で起きる東海地震がまだ想定されていなかった。

 それというのも、中部電力が建設を計画したのは50年以上も前で、運転開始したのが1976年3月。

 東海地震が問題になったのはその後である。

 以来、東海地震についての研究が進み、いつでも起きる可能性があること、その規模はM8・5前後、震度は8クラスで専門家の意見が大方一致している。

 同発電所は中部電力唯一の原発で、5機が集中的に建てられている。

 1号機は2002年に、2号機は2004年にトラブルを起こして運転停止後、耐震性がないために既に廃止していた。

 そこに駿河湾を震源とするM6・5、震度6弱と、それなりに強い地震が2009年8月11日に起きた。

 4号機は定期点検のために運転停止中で、動いていたのは3号機と5号機だったが、地震を感知したところで自動停止した。

 地震直後の報道で注目すべきは、毎日新聞が5号機の制御棒が損傷したという記事、日経新聞、他の新聞記事が3,4号機の揺れが震度5強であったのに対して、5号機だけが震度7相当だったという報道である。

専門家の指摘通り、浜岡原発5号機の地盤が軟弱だったため、増幅して大きな揺れとなった。

 もし、この地震が警告されているような震度8の東海地震だったら5号機は間違いなく崩壊していただろう。

 そうなると、チェルノブイリ原発事故のように大事故になっていた。

 2007年の中越沖地震で全面停止となった東京電力柏崎刈羽原発も地盤脆弱で地元の反対を押し切って建てた原発である。

 東電は問題なしと主張してきたが、実際に起きたのは東電が想定していたより最大で3・8倍も強かった。

 地震が起きると検知システムが働き、一定の強さを感知したら自動的に制御棒を入れ、停止させる。しかし、運転中の罐の中の水は高圧化にあるために600~700度もあり、炉内の水が100度以下になるまでには爆発の危険性がある。

 それゆえ、柏崎刈羽原発が100度以下の冷温停止するまでに約21時間もかかったが、今回の浜岡原発でもほぼ同じくらいの時間がかかったようである。

 このように、水力発電や風力発電、さらに火力発電とは全く異質で複雑なシステムで稼働している原子力発電が地下に眠る原子爆弾のように不気味な形で日本国中に設置されているのに、我々は科学の末路である原子炉事故を真剣に考えたり、また知ろうとしていない。

 いつか来るかもしれない地震やミサイル攻撃、テロや人為的ミスによる時限爆弾のような原子炉事故によって日本の土壌は放射能汚染され、日本国民は民族と国土を失う危険性の中で電気を灯しても、先が見えない人々のようになって暮らしている。

 一体国民の反対を押し切ってまでも原子炉を建設することは何の国益があってのことなのか!

 建設企業の利益や霞が関官僚とその下の特殊法人の利害の論理が強くからんで政治家もまるで阿保になっているかのようだ。

 実際に、国も電力会社も地震と原発の安全性を再検討し、耐震性の見直しをはかったのは近年になってで、しかも我々がチェルノブイリ原子炉事故20周年を警告した2006年になってやっと耐震設計の見直しが行われた。

 しかし、まだ問題が数多く残されているのである。

ページの先頭へ

関連リンクなどLinkIcon