五井野正博士の月刊「ザ・フナイ」原稿

2015年7月22日(水)

(月刊雑誌『ザ・フナイ』2010年6月号より)
音楽少年から科学少年になった生い立ちと宇宙計画

 私が『ザ・フナイ』2010年3月号と4月号で火星計画について書いた後、4月19日の日経新聞、科学技術欄で「火星計画、米再生に必要」、そして、その見出しの横に「アポロ11号元飛行士、日本などと提携を」という記事が掲載された。

 そのアポロ11号元飛行士とはなんと本誌1月号で紹介した、エドウィン(バズ)・オルドリン氏なのである。

 まさか、私の原稿にオルドリン氏までがリンクした!?とまでは言わないが、まさに偶然のタイミングである。

 と言うのも、オルドリン氏が月面に着陸してから今日までに40年以上もたっているにもかかわらず、丁度私の火星計画の原稿が掲載された後に、オルドリン氏が提案した火星計画がオバマ大統領によって発表されたタイミングがやってくるとは、私にとって単なる偶然として片付けられないのである。

 もし、私の原稿とリンクしているとするならば、いよいよ月面着陸についての真実を話さなければならない時がきたと運命を感じてしまう。

 さもないと時間がずれてしまい、『ザ・フナイ』の読者は時間的に取り残されてしまう恐れがあるからである。

 記事の内容は、米オバマ大統領が2030年代半ばに人類が火星を目指す計画を打ち出したことについての日経記者の質問に対してオルドリン氏が「ライト兄弟による世界初の有人動力飛行の66年後に人類は月に立った。

 その66年後の2035年までに火星着陸を実現する計画を打ち出すべきだと訴えてきた」と答えて、オバマ大統領の火星計画はオルドリン氏の提案であることがわかる。

 もし、巷に言われるような「人類は月に降りていなかった」という説であるならば、彼はこのようなセリフを言わないで、“人類は再度月に降り立つべきだ”と提案していたことであろう。

 とすれば、本誌1月号で飛鳥昭雄氏が月面でのアポロ映像の問題点を詳しく指摘したように、月面でのさまざまな写真やフィルムに存在する数多くの科学的な矛盾点ゆえ、それらのアポロ映像は月面上ではなく地球上で撮られたもので、アポロ宇宙飛行士は実際には月面に降りていないと考えたほうが、その後の米国の宇宙計画を理解するにもわかりやすい。

 例えば、もしアポロ宇宙飛行士が月面に降りていたならば、もうとっくの内に月面に基地を造ったり、一般の民間人もかなりの人が月に行っていただろう。

 なのにブッシュ前大統領は大統領選挙前になって人類を月に送り込むという長期計画を発表したりした。

 その発表を真面目に考えると、「アレ、人類はまだ月に行っていないの?」と錯覚するような声明として考えられるから、世界の人々は何も驚かないどころか、またブッシュはアホなことを言っているという軽いジョークにしか聞こえなかったのかもしれない。

 ところが今回は、“Yes, We can.”のオバマ大統領の発表であり、その火星計画の提案は我ら(と言っても飛鳥氏や筆者の原稿を信じる人々)のオルドリン氏なのである。

 私がオルドリン氏と直接話しをした時の彼の人格、彼の発言、そして、彼の置かれている立場や飛鳥氏の1月号の原稿の内容を考えると、間違いなくアポロ飛行士は月面に降りていたのである(写真を参照のこと)。

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(写真)左から順に、世界で初めて宇宙遊泳したロシアのレオーノフ氏、月面に降りたバズ・オルドリン氏、筆者の五井野正氏、ロシア宇宙飛行士協会会長のコバリョノク氏。

 そして、いよいよ次の段階として火星に人類を送り込む計画を米国は発表したと言える訳である。となれば、アポロ映像の矛盾の理由を説明するには、月面に公表できない何かの事実があるために、あえて地球上で撮影した写真やフィルムをNASAが人々をだますために公開したと考えるしかない。

 そこで、その答えを述べるには、私の原稿と米国の火星計画発表が偶然ではなく、リンクしていたという確認作業をまず取った後でなければならない。

 もしリンクしていたならば、アポロの真実を今まで8年間位、伏せてきた真実を親友の宇宙飛行士(それぞれのセクションのトップの位置にいる人達)の承諾、もしくは通知をして『ザ・フナイ』の読者の方々のために記述することになるだろう。

 多分、次号にはその結果が読者に報告できるであろう。

 ところで、前号で“科学の末路”もしくは“科学世界の最終結果”と表現した原子炉事故の記述に関し、多くの読者から“恐ろしい現状を知った”あるいは“何かしなければならない衝動に駆られた”というような反響をいただきました。

 また、「地獄の釜」という言葉が身近な所にあるということがわかったという声もいただきました。

 それに対して、月や火星、あるいはさまざまな惑星宇宙に行けるために科学がどんどん進歩していくというような未来科学こそ、人類の夢や希望としての本来の科学であることは今でも変わらない人類の思いや考え方だと思う。

 本来の人類の科学は人類の夢と希望である宇宙、すなわち天の星、天の国へ行くためにあるもので、それがどう間違ったのか、今の科学は地の中にある放射性物質を取り出し、地上にばらまいて地獄絵図を作り出すという道に使われてしまっている。

 このことは他人事の話ではない。例えば、『ザ・フナイ』3月号で船瀬俊介氏は「マスコミのタブー100連発<2>」の“「オール電化」が向かう原発地獄”という見出しの中で地震大国の日本列島沿岸には55基もの原子力発電所(原発)が林立して、さらに原発マフィア達が原発の数を増やそうとしていると記述し、その中で浜岡原発1基が爆発するだけで、予想死者は約1300万人、東海第二原発の爆発なら約2300万人が犠牲になると警告している。

 ちなにみ、チェルノブイリ原子炉1基の爆発で、大気中に放出された放射能は広島型原爆の1500発分だから、大気中以外に放出された放射能量も計算すると、さらに多量になるだろう。

 しかも、原発の爆発は大型地震だけでなく作業ミスやミサイル1発、爆弾テロ1人でも起きうる災難だから、原発の数が多くなればなる程、その災害の起きうる確率がどんどん高くなってゆく。

 そして、もっと恐ろしいのは、地震兵器を1回使用するだけで、いとも簡単に原子炉は爆発することだ。

 例えば、日本の対空ミサイル防衛システムが北朝鮮や中国からくるミサイルを意識しているけれど、ロシアからのミサイルに対応していないことに一般人は何の疑問も感じていないのだろうか。

 ロシアには1万発の核ミサイルがあるから初めから防衛は不可能と諦めているのであろうか?

 イヤ、そうではないだろう。
 もしロシアが地震兵器を所有しているなら、原発がある限りミサイル防衛システムは無意味だと言えるからである。

 それは私がロシアのアカデミーやアルメニアのアカデミーで確証を得た事実なのである。

 もちろん地震兵器は米国も所有しているし、度々使用されたと言われている秘密兵器である。

 日本のような地震大国に原子炉1基でもあれば、たやすく地震兵器を持っている大国の脅(おど)しに従わざるを得ないということになる。

 このように現代科学は宇宙すなわち天国に向かわず、地獄に向かっている現状はニュートンやアインシュタインの科学理論が制限を付けた宇宙の中に人類を閉じ込めている、すなわち宇宙旅行を不可能にしている理論だからと言えるだろう。

 逆にニュートンの考える重力の力、すなわち地球の中心に向かわせる引力理論は、地の獄からくる力の作用の科学、すなわち人類を地獄の中に引っ張り込む理論だと言えるのである。

 ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の聖典となる旧約聖書は天国のようなエデンの園でのアダムとイブの原罪を説明している。

 それは、ヘビ(悪魔)に誘惑されて赤い果実を食べたという話だが、絵画上ではその赤い果実は赤いリンゴになっている。

 ニュートンはリンゴが落ちてきたので万有引力、すなわち重力を発見したことになっている。すると、聖書から見たらニュートンの重力理論はリンゴを食べてエデンの園すなわち天国(宇宙)から追い出された地獄(地球内部の力=引力)の理論といえないだろうか。

 ところが、本来人類の進化とは地球から生まれて、地球外の宇宙に出るという本能に従って地球人から宇宙人になるということであるはずで、それを可能とする宇宙の法こそ本来の科学ではないだろうか?

 私は高校2年のときにニュートンやアインシュタインの方程式の誤りに気づき、本来の宇宙の法、すなわち調和性理論と七次元八空間十二次平面理論を考えた。

 と言っても、ニュートンやアインシュタインは教科書の人だから、その教科書の人と私を対比しても意味が無いように思えるだろう。

 しかしながら、本誌4月号(106ページ上段)で少し記述したように、ニュートンやアインシュタインを陰で操ってきた支配者達でさえ私を“予言された類稀な若き科学者”と評価して地球規模での研究と実習環境を用意してくれるくらいなのだから、ニュートンやアインシュタインと私とを対比しても少しもおかしくはないだろう。

 そこで、私がいつどんな理由で科学に興味を持ち、どうしてそんなに天才児と言われる程になれたのか、などの読者の要望に答える形で、私の生い立ちと科学とのかかわりを以下に話してみたいと思う。

 まず、私が科学というよりも宇宙に目覚めたのは小学4年の時だった。それまでの自分と言えば、髪にポマードをつけて学校に行き、休み時間に教室の机の上に乗ってはニール・セダカやポール・アンカなどのアメリカン・ポップス歌手の歌を踊りながら歌って可愛い女の子にアピールしたり、追いかけたりといったようなませた少年でした。

 それが、ある日を境に突然に性格が正反対に変わるような出来事が起きてしまった。それは、自主テーマの研究学習授業で、私は銀河系をテーマにした研究発表をしたことから始まる。

 私は教室の黒板に銀河系の姿を描いて、その横の大きさを直径10万光年、高さ1万5000光年と生徒に説明をした(図を参照のこと)。

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(図)銀河系の中の地球と北極星の関係
筆者が小学4年生の時に描いた図。

 当時の天文学の学問的知識はそこまでであった。ちなみに現在は銀河系の大きさはもっと拡大されている。

 そして、その距離となる、1光年の長さは光が1年かかって進む距離に値する長さで、光は1秒間に地球を7回半廻ることを生徒に説明をした。

 単なる天文学的知識だから誰も反論する人も、疑問を持つ人もいない。

 地球を7回半廻ると言っても、当時日本人で海外に行けた人は今と違ってほとんどいない状況で、ましてや地球を一廻りする世界一周など夢の世界だから、光の速さなど実感として誰もピーンとこなかったと思う。

 私も本の知識を借りてきただけだから光が1秒間に地球を7回半廻ることや銀河系の大きさなんてまったく絵に描いた餅のようなものだったと思う。

 しかし、その研究発表の3年前の1957年10月4日に打ち上げられたソ連の人工衛星スプートニク1号が人類最初の人工衛星として地球をグルグル廻ったことが衝撃的な記憶として残っていたのであろう、電子のような極小の光の粒が地球をピューピューとものすごい速さで廻っている姿を想像していた。

 そして、私は、銀河系の円周を太陽系が2億年以上かかって廻ることと、2万6000年の周期で地軸が振り子のように動く歳差運動のため地球から見て、見かけ上、北極星が動くことを発表した。

 すると、同級生の生意気な人間から「北極星は動かないと教科書に書いてあるぞ」と反論され、授業の間ずっとその問題で論争したのである。

 そこで、結論が出ないために、担任の大久保先生に正解を聞いたら大久保先生は答えを出さず、結局大人になったらわかると答えたため、その生意気な生徒から「それ、五井野は大人にならなきゃわからないんだ」と大声で皆の前で馬鹿笑いされたことが、教科書授業を放棄し、独自の科学世界に入り込むきっかけとなった。

 つまり、私は教科書のことがわからないのではなく、それを前提とした上でさらに宇宙の構造を説明してそこから得られる論理的な研究を発表しただけで、決して教科書の知識とは矛盾していないと考えていた。

 なのに、尊敬していた先生が当然の如く正解を知っていながら何も答えてくれなかったことに私は大きなショックを受け、それからは教師から学ぶことを止め、学校の図書館から借りてきた本を読んで授業中に勉強することになった。

 今になって思えば、北極星が見かけ上動くという推理はガリレオの相対性理論とまったく同じ考えを言っている訳で、それゆえ、この後にガモフ全集を読んで、そこに書かれている相対性理論に夢中になったその理由が後になって私自身わかってくるのである。

 そして、この北極星の問題から好きな女の子も含めた同級生全員から馬鹿にされてしまったと少年心に感じたのか、今までのように歌ったり踊ったりして同級生にアピールすることもしなくなると同時に、女の子にも興味を失ってしまった。

 それからは、教師から問題を当てられてもすぐに答えられるために黒板で授業する教師の言葉を一瞬で理解する勉強法と周囲の生徒や教師から読書をしているのを見つけられないように机の上や下で本を読みながらも周りの声も聞く頭脳トレーニングを自然と身につけることになった。

 それによって客観的な物事を一瞬に読解する力と自主的な独自の連続思考法と、さらに周りの空気を読む観察力を同時に行う訓練法を10歳の時から知らずの内に行なってきてしまったと言えるかも知れない。

 即ち、3つの頭脳を同時に働かせる方法とも言えるでしょう。この原稿を書いている時にたまたまテレビでフラッシュ的に次々と出てくる数字を暗算で素早く計算して、それと同時に司会者の質問に答える少年が紹介されていましたが、これなども記憶と計算、そして言語の読解力と解答を同時にできるため、3つの頭脳が働いている良い例だと思う。

 そのような勉強方法によって、質問と解答が瞬時にでき、しかもわからないことがあっても何でも自分で考えて答えを出してしまうことができるようになった。

 そういう点では、大久保先生のおかげで記憶する勉強から考える勉強を小学生の時から訓練することができたと思うから今でも感謝している。

 そのように何でも考える習慣を身につけたため、数学の連立方程式なども小学生時代から独自に考えてしまうようになった。

 そして、次に宇宙が身近になる衝撃的な事件が海外から私にもたらされた。

 それは「地球は青かった」という見出しと共に宇宙服を着たガガーリンの写真が新聞一面に躍っていたのを見たときの衝撃によってである。

 “何とかっこいい、すごい人なんだろう”と思うと同時に、私も含めて人類が宇宙に行ける夢と希望で胸が大きく膨らんだのである。

 つまり、私にとってアメリカン・ポップス歌手よりも宇宙飛行士のほうが人類に夢と希望を与えるかっこいい人として移り代わってしまったのである。

 その日は、1961年4月12日、ソ連の宇宙船ヴォストーク1号がガガーリン少佐を乗せて地球を一廻りした日であり、人類が宇宙に初めて飛び出した記念すべき日であったが、私にとってはロケットなどの宇宙開発や宇宙飛行士に大きな憧れを持つ変革の日だったのである。

 その日を境にして、それからの世論の流れは、21世紀は間違いなく宇宙時代の世紀となり、人類は宇宙で生活をしていると誰しもがそう思うようになった。

 また当時の科学者や評論家もそのようなことを口々に言ったものである。

 事実、『2001年宇宙の旅』という映画ができる程、もはや人類の夢と希望でもある宇宙旅行は21世紀初めには実現し、しかも自分達が生きている間に必ず実現する現実の世界として幼い頭の小学生でも理解できていた。

 だから月や火星、さらには太陽系はもちろん銀河系の旅、そして我々の銀河系の近くにあるアンドロメダ星雲までいつかは宇宙旅行ができると想像を巡らせながら宇宙の星々の位置や構造に大きな興味と関心を起こしてきたのである。

 しかしながら、宇宙の構造や大きさを知れば知る程、銀河系からアンドロメダ星雲、アンドロメダ星雲から他の星雲銀河へと星間宇宙の旅をするには少なくとも光の速さ以上のスピードで宇宙を飛ばなければ宇宙は単なる想像上の世界、天文学者が描く単なる絵の世界だけに終わってしまうこともわかってしまった。

 例えば、光を光子と考えて、光子ロケットで宇宙を飛ぶと考えて見ても銀河系の端から端まで10万年以上もかかってしまう。すると、寿命が100年位の人類にはとうてい体験することのできない銀河の旅になってしまうからだ。

 とすれば、銀河系の近くにあるアンドロメダ星雲に人類が行くことは銀河の端から端まで旅行するよりもはるかに遠いため、夢のまた夢なのだが、ある小説や映画ではなんと、このアンドロメダ星人が地球にやってきて地球人と一緒の生活をするという設定になっていた。

 どうやって来るのだろう?光子ロケット、いや円盤と言った方がイメージがわくだろう。

 しかし、どういう原理で飛んで来るのだろうか?大人たちが描くサイエンス・フィクション、つまり、科学小説は実にまったく非科学的小説に私には思えてきた。

 だから、私のように何事も科学的な論理で空想をし、夢を実現化しようとする者にとっては、そのような科学小説など到底馬鹿馬鹿しくて読めなく、また映画やテレビの科学ドラマも見ることができなくなったのである。

 とすれば、宗教小説や歴史小説なども意外と、宗教や歴史などにはまったく無知な人間しか書けないものかもしれない。

 いくら教科書の歴史の年表とそこに書かれている事件の年代とか記述とかがあっているからと言ったって、当時の人々の考え方やセリフなど仮にテープレコーダーがあって記録されていたとしても、そう簡単に真実の歴史事実のように書けるものではない。

 それゆえ全てが作者の想像なのである。ましてや、時の権力者にとって都合の良い史実が公の歴史書なのだから、逆に言えば真実の歴史や宗教にまったく無知でなければ作り話のように自由に書くことはできないだろう。

 だから私は科学少年となって以来、漫画や小説、さらにテレビや映画を見ることが少なくなってしまった。

 と言うのも、漫画といえば鉄腕アトムや鉄人28号に代表される科学物の劇画なのだが、それまでそれらの漫画本を山積みしてまで揃えて夢中になっていたのが何だか幼稚で非科学的に見えて、スッカリ興味を失ってしまったのである。

 また、テレビといえば月光仮面や力道山のプロレス、王・長島の巨人軍の野球、そしてNHKの紅白歌合戦に代表されるような人気番組を子供も大人も一日、3~4時間テレビを見る1億総テレビ化の世代に生きてきたから、そのような一般的な興味や思考法にも飽きて私はパッタリ、テレビを見る時間を減らしてしまった。

 また、映画は東千代之助や里見浩太郎、大川橋蔵、片岡千代之助、市川歌右衛門など東映映画の時代劇、スーパージャイアンツやゴジラ、モスラなどの東宝映画の黄金期に夢中になった幼年時代を過ごしてきたけれど、科学少年になってからは、その後の若大将シリーズ(東宝)や、吉永小百合などの青春物(日活映画)の黄金時代は、ほとんど観ることが無く通り過ぎてしまった。

 その点では映画やテレビ、流行小説などによって知らない内に洗脳されてしまった一般人に共通な男女の恋愛感や青春の思想観が私は洗脳されずに通り過ぎてしまい、その代わりにニュートンやアインシュタイン等の洗脳を受けたまったくの科学少年になってしまったと言えるだろう。

 これは中学生から高校生にかけての思春期に共通の一般的な思考や感覚をまったく持たないで迎えたと言うことになる。

 つまり、私は小学校4年の自主研究による科学の目覚めから、教科書や一般マスメディアからの洗脳をあまり受けないで独自の思考や感性を身につけて生きてきてしまったと言えるのである。

 そして、今度は小学校6年、12歳の時に学校のグラウンドで夜遅くまで仲の良い、ライバルでもあった友人と光の性質について論争することになる。

 つまり、私は光が人工衛星のように1秒間に地球を7回半廻るというイメージから光の光子説を主張していたからである。

 ところが、友人は教科書の知識を持ち出して光は波だと私を馬鹿にする。

 しかしながら、もし光が波であったら、それを伝達する媒体がなければ光は伝達しないことになるからニュートンの宇宙観を信じていた私は、太陽系モデルの中は真空なので太陽からの光は地球まで届くことはできない、それゆえ光は波の性質を持ち質量ゼロの光子だと主張したのである。

 このような当時の私の考えから、多分この時、既にガモフ全集を読んでいて、その中に記述されているアインシュタインの光子説を学んでいたのであろう。

 そして、このような発想から熱も熱量子と考えて、気体は熱量子によって満たされていると考えた。

 それゆえ、気体が圧縮されれば、その中にある熱量子が外に出て熱が発散され、今度は逆に圧縮された気体が元に戻ろうとして膨張する時に熱量子を吸収すると考えて、冷蔵庫の原理も自分で考えてしまった。

 そして、中学生になると前号で述べたように地質学クラブに入って化石や岩石、鉱石などを収集するために野山を駆け巡っていた時代になるけれど、勉強の方はと言うと、小学生時代と変わらずに学校の図書館にあった科学関連の本を授業中に片っ端から読んでいた。

 すると、担任の橋本先生が図書クラブの担当だったので私の読んでいる本を見て驚いたためか、私をすごく可愛がってくれ私のことを大器晩成型と評した。

 私は自分の才能を信じていたから早い内に大物になると思っていたので、「どうしてですか?」と聞いたことがある。

 そしたら、橋本先生は「君の才能は常人には理解できないから、世の中に理解されるまでには長い時間がかかるからだ」と言われた。

 私はそれでも20~30歳代には世界的な科学者になっていると真に思っていたのである。

 私にとって橋本先生は中学校の先生の中で唯一尊敬していた先生だから、橋本先生が担当する図工が好きになり、先生も私の成績表は作品がいつも未完成であっても通信簿の成績を4におまけしてくれる程だった。

 そのせいか、私は家に帰ると勉強など一つもしなかった代わりに廃材を探してきては屋根裏に色々な部屋や研究室を作ったりして大工仕事と言うよりも大きな図工をしていた。

 中学2年か3年の時、担任の先生と尊敬していた橋本先生が私の家に来て、屋根裏の研究室や図書室を見に天井に登って中に入り、色々な部屋をねずみ小僧のように背を曲げて這い回っては感心していたことを今でも思い出として残っている。

 そして、休日と言えば、私はもっぱら旅行ばかりして地質調査をしながら自然を楽しみ、研究土産に岩石や鉱石の標本を持ち帰る日々を過ごしていた。

 それが中学1年の終わり頃か中学2年の時だったかは定かではないが、私の隣人が東京工業大学の学生だったので、たまたま大学の化学の教科書をもらったことから夢中になってその教科書を読み、瞬く間に大学課程の化学の勉強をマスターしてしまった。

 そして、大学の化学教科書のおかげで化粧品や食品添加物に使われる香料や色素、保存料などあらゆるものが化学合成できることがわかると同時に人体に良くないこともわかってきた。

 そこで、私は中学3年の弁論大会で「食品や化粧品に使われる化学素材や合成添加物、さらに、アセチルサリチル酸(アスピリン)を主成分とした風邪薬や鎮痛剤の医薬品等の人体への危険性」を教師や生徒に訴えたのである。

 ところが反応はゼロ。唯一尊敬する橋本先生に感想を聞いたら、「難しくてわからない」と言われ、本当にショックを受けた。大器晩成の意味が本当に身にしみたが、まさか何でも理解してくれる橋本先生までが理解できないことにショックを受けたのである。

 と言うのも、私が普段、食品の添加物や薬の危険性を訴え、両親や兄貴、先輩までもが、「たっちゃん(著者)はおかしくなった」と言い出だす現状の中で、唯一の支えが消えてしまったような気持ちになったからだ。

 そこで、私は中学を卒業したら奥多摩の山の頂上にロッジを建てて、愛犬と一緒に住もうと本気で考えてしまったのである。

 それゆえ、中学1年の時、教師から言われた「北海道の山奥だったら一坪50円で土地が買える」という皮肉めいた言葉が印象的に残っていたから、5万分の1の地図を買って奥多摩の山頂だったら、一坪50円くらいで土地が買えると思い奥多摩湖に何回か視察に行ったのである。

 すると、私の両親が所属していた組織団体の先輩から、「学会には東大に行けるような人材がいないので、たっちゃんなら頭がいいから東大にいかなきゃだめだ。それには高校に行かなければだめだ」と言われた。

 もちろん親からも高校に行かないのは馬鹿だと反対を受けたし、先輩の兄からも山奥の僻地には正体不明な人達が住んでいるとか幽霊の話とか非科学的な脅しを受けて、それが少年心に精神的に効いてしまった。

 そこで、多摩川の上流で河原や梨畑など自然がいっぱいある神奈川県立多摩高校を受験し合格した。

 受験はこの学校だけなので、落ちればこれを理由にして丹沢のふもとの町か北海道の一坪1000円の分譲地を買って住む気でいたから、先輩や親の心配をよそに不得意な英語だけの勉強をしていた。

 今考えれば、20歳でヨーロッパに行ったとき、ジャパニーズイングリッシュは私も含めて全く通用しなかった経験から学校で勉強しても意味が無いことが後にわかり受験勉強の意味の無さに閉口した。

 特に、高校時代に学校で1番か2番の英語の成績であった友人(前述した光の論争の時の友人)が外国人と話して全く英語が通じなくてショックを受けた話を聞いて笑ってしまったという体験があるから、英語の勉強に関しては単なる教科書的、テスト形式の勉強法だったら中学校、高校でわざわざ勉強する意味がないと思う。

 と言うよりも英語は難しいという先入観が生まれてしまうから、かえって害悪になると言えるだろう。

 何故なら語学は赤ん坊のようなまだ未発達な脳でも覚えられるので、そのため、まず耳から聞き慣れる環境の中に自分を置くことが大事だからである。

 英語を聞き慣れない内からテスト、テストと繰り返せば英語に対する恐怖心が生じてしまって、逆に聞く時に拒否反応を起こしてしまうものである。

 つまり、耳で聞いても記憶する脳が険悪感でシャットアウトしてしまうからである。例えば、嫌いな人が話をしても脳が拒絶反応を起こして、長く聞いているとイライラしてくるのと同じ理屈と考えれば理解しやすい。

 要するに、つまらない教師がつまらない英語(言葉)で一方的にしゃべって、どうだこうだと質問してくる会話時間(授業)は生徒にとって苦痛以外の何ものでもないはずだ。

 そして苦労してやっと覚えた英語も、それを教えた英語教師としか会話ができないというジャパニーズ・ティーチャー・イングリッシュだったという、笑うに笑えない現実が待っていると言えよう。

 それよりも語学の必要性があれば、みんなで海外に行ってショッピングをしたり、食事をしたり、観光したりすれば語学は体感的に自然と身についてくるものである。

 それゆえ、私の場合に限って言えば中学校を卒業したら直感的に高校に行かず山奥で暮らすという考え方は勉学に関して全く間違いでなかったことになる。

 と言うのも高校に入学した時に、すぐに教師から東大など国立一期校を受験する全国の高校3年が受ける旺文社模擬試験を希望があれは中1でも受けられるから試しに受けてみろと言われ、理数系の試験を受けてみたことがある。

 その結果、全国の進学校から10万人が試験を受けた中で化学は全国で5番、学校では3年生をおしのけて1番という成績であった。負けず嫌いの私は、1問違いで化学が5番で悔しい思いをしたが、中学生の時に勉強した大学課程の化学の教科書が非常に役立ったと考えたから、その教科書はボロボロになるまで大事に使用していた。

 となれば、もし欧米のように飛び級制度になっていたら、私は中学生で大学の課程を卒業していたことになる。すると、高校1年で修士論文や博士論文を書くようになっていただろう。

 それゆえ、前号で紹介した18歳で博士号を取ったモルタワ氏に、私の別なもう一つの生き方を感じてしまったのである。ところが化学とは対照的に物理や数学は大学課程どころか、高校での教科書の勉強もしていない。

 それでも中学時代から独自の物理学理論や数学の方程式を考えていたから、何とか物理も数学も平均以上の点数が取れたので、このままがんばれば東大に入れる力があると言われた。

 そのため、私は物理、化学、数学の教科書は買わず、授業中は好きな本を読んでいる生活を送った。それも、授業中に堂々と本を読んでいたため教師は私を劣等生に見せるためにわざと難しい問題をいきなり私に問いかけてくる。

 しかし、私はその場で答えを出し、さらに二度と教師の干渉を受けたくないために教師に逆に難問を出して赤恥をかかせ、私に二度と質問をさせないようにした。

 そのため、内申書の評価は、どの科目も教師達が申し合わせたように×だらけだった。これではどんなに成績が良くても大学には合格できない仕打ちだった。

 これだったら奥多摩の山奥で仙人のように暮らして勉強をしていた方が、健康に良いだけでなく右脳がもっと発達していただろう。こちらの方が伝説の人のようになって、よっぽど面白かったのかもしれない。

 私は小学校、中学校を通して家で勉強をしたことがないから、高校時代は国語や英語などの教科書は教室の机の中に置いていた。いつも学校には手ブラか、もしくは何かの本を1冊持って学校に通っていた。

 もちろん、宿題は授業の間の休み時間に行い、あるいは理数系の授業中にやっていた。これは中学生時代からの慣習であった。

 このような私の行動は学校中の生徒に話題になり、教師も私を敵視するようになった。

 面白いことに後に教科書を持たないで学校に行く天才高校生がいるという話題が福島の片田舎にまで広まっていたことが私の本の読者から知らされたことだ。

 高校では化学クラブに入って毎日教科書にない実験を行なったが、その実験のテキストは図書館にあった大学の専門課程や大学院の最も難しい専門書も含まれていた。

 特に私は金属のイオン化傾向の理論化学に中学時代から興味を持っていたから、イオン化傾向の最も高い、つまり最も高いボルトを出力できるリチウム電池の制作を理論的に考えていた。

 実際にリチウム電池が世に登場するのは、それからウン十年後だった。

 この件に関しては高校1年の時にリチウム金属を薬品会社で買って実験研究を行ったが、今、世界はリチウム電池搭載の電気自動車が次期世代の車として話題になっているのでリチウム電池について若干の説明をしてみたい。

 まず、金属リチウムはイオン化傾向がカリウムやナトリウムよりも高い割にはカリウムやナトリウムほどには化学反応が激しくないのが特徴である。

 そして、マンガン酸リチウムやコバルト酸リチウム、あるいはリン酸ニッケルリチウムやリン酸鉄リチウムなどのリチウム化合物の金属錯塩(さくえん)などを触媒にしてイオン反応をさせると、電気の放電や充電が可能となる。

 この電池の特徴は、放電電圧が最も高いために従来の電池よりも高出力が期待できる。

 しかしながら、リチウム金属の価格が高いのと化学反応が従来の電池よりは激しいので、その分、より製造コストが高くなって電池の値段が高くなるという欠点がある。

 しかも、充放電を繰り返すと出力が落ちるという従来の充電池と同じような問題も生じる。

 そこで、ナノカーボンを少量、このリチウム電池に混合すると、この問題は一挙に解決して電池の寿命は格段と延長される。この件に関しては、いずれ記述する。

 また、電池の研究の他にもプラスチックや染料、新しいロケット燃料や、また、美術の絵の具、インク、防水テントやスキーウェアの染色、薬など生活用品や実用品などを学校の化学教室で作って自分のために使用していた。

 その中でも、私の最も興味をそそったのは、シリコン樹脂と、前述したように小学生からの夢であった宇宙旅行のためのロケットの推進燃料であった。

 まず、シリコン樹脂というのは単純に言えば今のプラスチックやビニールの骨格となる炭素をケイ素に置き換えた樹脂と考えればわかりやすいだろう。

 ケイ素は陶器や磁器、ガラスの主成分だから、シリコン樹脂はそれらの物質をプラスチックやビニール状にしたものとイメージすれば従来の炭素系のプラスチックやビニールと違って燃えないし、耐熱耐酸化性に優れていることがわかるだろう。

 それゆえ、宇宙開発には無くてはならない製品類なのである。

 そして、最も重要なことは我々地球人の肉体や生活は炭素分子を中心とした世界で作られているが、宇宙にはケイ素を主成分とした宇宙人の存在も考えられることにある。

 それゆえ、ケイ素系宇宙人のみならず炭素系地球人の特性を理解するにも、ケイ素を主としてシリコン樹脂の研究が欠かせないのである。

 しかしながら、今日に至っても世界のシリコン樹脂の研究開発はまだほとんどと言っていいくらいに進んでいない。

 炭素系のプラスチックと違って水の脱水、重合という発想程度では無理なのかもしれない。

 また、ロケットに関しては私が独自に作り上げたロケット燃料によるロケット実験で一瞬にして数百メートル上空に飛んだほど大成功であった。

 後に私が開発したロケット燃料は、自衛隊の高性能ミサイルの燃料と全く同じ成分であることを自衛隊の人から聞いた。

 その他に、風邪薬やプラスチックなど、ありとあらゆる物を合成製造していたから、結局は医薬品や加工食品などが人体に危険なものであること、化学工場が公害となる廃棄物の発生源であることなどの問題点を指摘するようになった。

 そして、科学の発展は人類の幸福には結びつかず、人類に不幸をもたらすという考え方を持つようになり、科学研究をやめることにした。

 その代わり、哲学や文学、歴史学、さらには宗教経典などを読むようになった。それは高校2年の夏以降だったと思う。

 そして、高校2年の終わり頃、進級する時に理数系と文科系に別れるが、その時私は学校の女子生徒の人気ナンバー1だったので文科系に行こうと思っていたら、教師が私の理数の成績が良いので理数系に行けと言われてしまった。

 当時の学校の方針は理数系重要視だったので、3年は理数系で男子生徒ばかりのクラスだった。私は後にこの選択を大失敗と考えるようになった。

 すなわち、高校生活全般を通して、理数の勉強は一切しないで授業中に哲学、文学、経済学等の文科系の本ばかり読んでいたからである。

 それゆえ、文科系に行けば想う人と同じクラスに行けて一緒の学級生活が送れたかも知れない。

 そうすれば、人生はもっと楽しかっただろうと卒業してからしきりに悔やんだのである。

 このことを拡大して言えば、本来、科学的論理で物事を考える優秀な生徒は文科系に行くべきで、そうすれば日本の政治も経済も、もっと科学的な合理主義になるはずである。

 ところが、優秀な生徒は物理、化学の世界に飛び込んで、ニュートンやアインシュタインの誤った世界観の中に埋没し、結局は世界の陰の支配者達に動かされて、ただひたすらに兵器や害のある化学加工品などを馬鹿みたいに製造する仕事などに就いて、科学の末の世界をつくり出していく人生を歩んでしまうのである。

 そのような姿は、いくら人間の姿であると言っても極大な宇宙の中で地球という“たまご”から見たら、地球を汚す単なるバイ菌あるいは、ウイルスみたいな働きをする生物体に見えてしまうだろう。

 すると、最終的には地球内部の生命体(地下王国に住む高度な人類)、もしくは外部の宇宙から浄化の使命を持った生命体がやって来て滅ぼされる運命になるかもしれないのだ!

 このことは、聖書の黙示録の中で地球の内部の空洞から人の顔をしたイナゴのような大群が出現してきて人類が裁かれるというような記述とまったくリンクしている未来話に映るのである。

 だが、現実は前号で記述したように、地球を汚染する原因者達に因果応報の罪として裁きが下される前に、陰の支配者たる彼等たちはその汚染者に対する浄化処理として戦争やジェノサイド(※)、さらに細菌や毒薬を食品や医薬品に入れたり、果ては時限装置としての原子炉を世界中に設置して人類を優生遺伝的に選別して浄化という形の虐殺をしようとしているのである。

 何にしても人類は宇宙(天国)への道を失った誤科学の終着駅である地獄絵図を描こうとしているのだが、その絵図はどんなに衝撃的、印象的な絵図であっても少しも人間的な文化や芸術とは決して呼べないものなのだ!

(※ ジェノサイド(genocide):特定の人種、民族、国家などの構成員に対する抹消行為のこと。)

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