五井野正博士のその他の原稿

2015年4月29日(水)

プラトン、ピュタゴラスそして孟子の思想の原点は数字

欧米人とって哲学の起源はピュタゴラス(pythagoras)ソクラテス(socrates)、プラトン(platon)に象徴されるように紀元前4-6世紀のギリシア哲学が根底となっている。

 そして同じようにして、東洋においてもギリシア哲学と同じ年代に孔子(koshi)孟子(moshi)などが出現して儒教という哲学を生み出している。

 人間の骨格、内臓、肉体構成が欧米人も東洋人も医学的に同じであるがゆえに欧米人も東洋人もその発想の骨格である根底哲学は同じであっても何ら不思議ではない。

 そこで欧米人の哲学の根底であるギリシア哲学から考察してみよう。

 先ず哲学(philosophy)という言葉はピュタゴラス(pythagoras)の“知恵を愛する人(philosophos)=賢者”という言葉から発生している。


ピュタゴラスは数が万物の根本原理であり原型であると主張する。

 しかも数を二つの構成要素として奇数と偶数に分け、奇数を“限りあるもの”、偶数を“限りなきもの”とした。

この考え方は同じく儒教陰陽の発想と相通じるものがある。

 例えば陰陽思想では奇数は陽数として、偶数は陰数として生活や万物の縁起や運命を図ったりする。


ピュタゴラスが宗教と学問を結びつけ教団を作って南イタリアの貴族主義の党派の中心的存在となったことは孔子が同じく道教と学問を結びつけ政治にかかわる者を養成する教団を学園という形で作ったことと相通じるところがある。


ピュタゴラス霊魂の不滅と輪廻転生の宗教思想をもって、その魂の浄化のために禁欲戒律の実践生活を説く。

 これは孔子の“詩、書、礼、楽”の四教科のうちの“礼”の実践と同じである。

 そして孔子の“楽”の教科に対してピュタゴラスも音楽の修行を課したのである。

 さらにピュタゴラスの数字に対して孔子は“詩”の中で三、五、七の陽数(奇数)による韻律を通して数字のリズムを教えた。

 もっともピュタゴラスの数字は抽象概念の数字としてではなく幾何学的な形を表現した数字であることが、孔子陰陽学の数字と違っている。

 ここにピュタゴラスの数字は数字との対比による調和や美しさを幾何学的に表現した建築物や絵画に応用され、西欧芸術の大河となって流れていくのだが、それに対し孔子の数字は詩の中の韻律のリズムとして感情や思想等の人間の内面的リズムの美しさ、つまり精神的内面芸術の発展に影響していくことになる。 

 このことは絵画の面においても西欧人画家が目に見える対象物を幾何学的な美しさの中に描きあげることに対し、東洋人たちは内面のリズム、肉体のリズムを筆の動きによって表現するという絵画方法の違いに表れてくるのである。

 また建築物においても西欧人たちは数字の対比による美しさや調和を伴なった建築物を造り上げることに対し、東洋人は三重塔や五重塔、七重塔等に見られるように三、五、七の韻律によるバランス、陰陽学に基づいた建築物を主としてきた。

 このような幾何学的な姿かたちの思想をピュタゴラス(pythagoras)は“イデア(idea)”と呼んだ。

 それは“知恵を愛する者(philosophos)=賢者”のみが思考する数理的幾何学の形、姿なのである。


ideaは今日ではアイデアと想起されるように形として表現されたものではなく形にする前の原型的な形、姿として理解される。

 このようなピュタゴラスの“数は万物の根本原理”の思想はピュタゴラスの定理に象徴されるように今日の幾何学となり、自然科学の土台思想となる。

 そして20世紀後半においてはコンピューターの出現によって数は万物の生成者である神のように全てを分け、全てを支配し、全てを命令するようになった。

 政治の面においても投票数が政治の為政者を選び、多数決が政策を決定する。そこには民衆の考え方や意志、要望など反映されず、唯、為政者達の考え方、意志、利害等が政策として運営され、国民を無知のままにしてコンピューター管理に置くという体制がとられてきた。

 すなわち民主主義という言葉はいかにも主権が国民にあるかのように錯覚させるが、哲学者も悪人も凡人も皆、一票という数の論理によって一掃され、主権は常に権力者側に置かれているのである。

 それに対しプラトンの説く“哲人王”の思想は哲学者が政治の為政者になることである。

 その哲学者の育成のために“アカデメイア”を創立した。今のアカデミーである。

 哲学者が知恵を愛する者(philosophos)=賢者と呼ばれた紀元前6世紀のピュタゴラスの時代から一世紀を経たプラトンの時代に入ると哲学者が王となるか、王が哲学者とならない限りは国家が安定し平和に存続できないと主張されるようになる。

 つまりプラトンは哲学を学び、哲学的な生活を実践することによって善のイデアを体得し、そのような哲学者が王となるべきだとの考えから、政治家育成の場として紀元前387年にアテナイ郊外のアカデメイアの場所に“アカデメイア”という名の学園を設立した。

 これが今日のアカデミーのルーツであり、アカデミーの出発点はプラトンの目的から哲学と政治を一体とした“哲人王”の育成の場に合ったのである。

 そしてプラトンが考えたideaは魂が肉体に入る前の魂が経験した真の実在の認識であり、その真の実在をイデア界として現実の現象世界とを分けたのである。

 つまりピュタゴラスが説くような数理的幾何学の調和された形や姿を我々がなぜ美しく感じたり、和んだりするのかとその原因を考えるときに、我々の魂がすでに過去において、そのような原型の真実世界にいたからであり、我々はそれを想起することによって魂が揺さぶられ、感動するとプラトンが考えたのである。

 すなわち、この宇宙にはイデアという原型の姿があり、その原型の宇宙であるイデア界から魂を通じてこの現実世界に形、姿を投影し表現することが理想社会の実現化であり、それを実現化するのが哲学者による政治であるとプラトンは考えたのであろう。

 というのもプラトンの思想の背景には師であるソクラテス(socrates)の思想というものが大きく影響していると考える。


ソクラテスの“智恵ある者=賢者”の考え方は先ず、人間は神の知と比較して無に等しいと考え、そこで自らの無知を自覚するものが“智恵ある者”と考えたのである。

 そして智恵ある者がゆえに知を愛し、追求する、それこそが“知恵を愛する者=哲学者”と考えた。

 しかしながらソクラテスのこの思想と対話方法は当時のソフィストと呼ばれる知識人たちの反感を買った。

 終にはメレトスアニュトスによる告発状によってソクラテスは国家の反逆者を育成したという罪を着せられて死刑に処せられた。


ソクラテスは書を残さなかったが、その思想と全貌はプラトンによって語り継がれた。


プラトン「ソクラテスの弁明」「クリトン」「パイドン」の書の中でソクラテスの裁判と死について語っている。


ソクラテスの死は当然プラトンに大きな影響を及ぼした。


ソクラテスの思想を継承しながら現実面に即するようにその思想を発展させなければならなかった。

 すなわち人間の無知を知って知を愛することは個人的な人間育成には大いに役立つが、政治の為政者にとっては危険な思想となる。

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