五井野正博士のその他の原稿

2015年5月25日(月)

ビンセント・バン・ゴッホ当時のフランの価値の研究

 モネの作品はゴッホの支援によってテオが支配人のブーソ&ブァラドン商会の画廊で展示販売するなどの協力があっても1886年にやっと1,200フランで売れるくらいだった。

 当時の大家の画家の絵の値段は、例えばジュール・ブルトンの『聖体拝領者達』はこの年1886年に225,000フランの値が付いていたからモネとは200倍近くの評価の差があった。

 それゆえ他の印象派画家の作品価格と言えば押して知るべしだろう。

 もっとも、1,200フランでやっと売れるといっても現在(2005年)の日本の貨幣価値と比べてどの位の価値であっただろうか?

 先ずジャン・クレイ著、高階秀爾監訳の「印象派」 (中央公論1987年出版)の「印象派の絵の値段」の研究によると、当時(1886年)の1フランは1987年頃の日本の貨幣価値で240円位の計算になっている。

 この数字によればゴッホは弟テオから一ヶ月150フランの仕送りを受けていたから、1987年頃の日本の貨幣価値に直すとゴッホは一ヶ月3万6,000円で生活していた事になる。

 そこで1987年頃と現在(2005)では年数的に18年の差があるが、1987年頃の株価指数と現在の株価指数、並びに一般人の所得金額等を比較した場合、1990年後半のバブル崩壊による長年のデフレ経済により、貨幣価値はそれ程変化していない。

 とすれば、ゴッホの一ヶ月の生活費3万6,000円は今日の時点で考えてもあまりにも少なすぎ、この金額では家賃にも満たないことはパリでも同じ事情と言えよう。

 ところでNHKが2005年に放送した「天才が夢見た黄色」のゴッホ特集番組では1フラン約1,523円の数字になっている。

 その数字だとテオから毎月送られてくる生活費は約23万円位になるからゴッホは意外と良い生活をしていた事になる。
 しかも、年間に換算すると300万円にもなる。

 もっとも年収300万円は「週刊ダイヤモンド」(2005年6月18日号)の職業別給料調査で比較すると、タクシー運転手や理容・美容師の平均年収に相当する。

 となると一人身のゴッホにとっては気楽な生活が出来、それゆえゴッホの貧しいイメージも全く変わってくる。

 そうなるとテオからの150フランの仕送りでは時々食事代が足りなくて何日も断食状態になったと言うゴッホの記述は現実と全くかみ合わなくなってゴッホの記述はまるで嘘のように思えてくる。

 そこで、小島鳥水(こじまうすい)の「江戸末期の浮世絵」(梓書房昭和6年<1931年>4月10日)を調べてみると、明治20年(1887年)頃、ゴンクールが歌麿の「鮑取り」を20円で買ったと言う記述が見つかる。

 そして、ゴンクールの1891年3月14日の日記ではこの浮世絵を買ったときの値段が40フランだったが、たった4年間で1,050フランの値が付いたと驚いた記述となっている。

 つまり、両者の記述を正しいとすれば明治20年(1887年)当時の40フランは20円に換算されるので1フランは50銭だったと言うことが分かってくる。

 そこで、明治20年頃の一円は現在の貨幣価値にして幾ら位かを「値段史年表」(朝日新聞社発行)で調べてみるが、貨幣価値の比較をする時は一般的に“米”の価格がよく用いられる。

 例えば、明治20年の米10kgあたりの価格は四十六銭(0.46円)で、2005年の米の標準価格米は4,000円前後となっている。比較すると約8,700倍になる。

 それゆえ米の価格で明治20年と今日との貨幣価格を比較計算すると、明治20年の1円は今日の8,700円に相当する。

 しかし、先進国は後進国と比べて米やパン等の食料費の占める割合はずっと低くなるから経済力にまだ劣勢であった明治20年当時の日本での米の価格は当時のフランス人の生活支出から見て比較的に高いものとなる。

 例えば、ゴッホの生活感覚を知るために低所得者である日雇労働者の賃金と米の値段を考えると良くわかってくるだろう。

 つまり、当時(明治18年)の日雇労働者の賃金は一日16銭で、一日働いても米3.5kgしか買えない計算になる。

 又、農村においても米に麦を混ぜて主食にしていた位で、毎日米を三度食べることは困難の状況であった。

 ところが、今日の日本の米の価格は国際価格よりも4~5倍も高いのに米を食べるのに不自由する人は先ずいない。

 つまり、国民所得と比べて相対的に米の価格は低くなっているからである。

 例えば、前述した日雇い労働者の1日の労賃の場合、昭和45年(1970)以降になると一日の労賃は米10kgの価格を上回り、昭和54年(1979)には米10kgの価格の2倍の労賃を得るようになる。

 つまり、日雇い労働者の賃金と米の価格とを比較した場合、明治20年(1887年)と現在(2005)とでは6倍の開きが生じている事になり、それゆえ米の価格で貨幣価値の比較を計る方法は正しいとは言えないのである。

 そこで、当時の国の貨幣価値を計る際はやはり世界通貨の基本である、“金”の価格であろう。当時の貿易の決済は、“金”であり円とフランの為替交換比率は両国の金の価格で決まっていたからである。

 すると、明治20年(1887年)当時の金の価格は1グラム67銭(0.67円)で現在の金の小売価格は税抜きで約1,570円(2005年7月12日現在)である。
その倍率は約2,340倍になっている。

 すなわち金の価格で当時の貨幣価値を計算した場合、当時の1円は今日の2,340円位に相当することになる。となると当時の1フランは0.5円の計算から今日の日本の貨幣価値に直して1,170円の価値になる。

つまり、この1フラン1,170円はあくまでも当時の金価格からの為替レートの計算である。為替レートによる生活水準の比較だと見かけ上、先進国の国民の所得は後進国の国民の所得よりも大きくなるが、実際の生活は物価も高いから生活水準は為替計算から来る所得の差程には大きく変化しない。

 すると、当時のフランスから見て日本は後進国であったから円は割安になる。

 つまり、実質生活で見ると1フランは金の価格で得られた1,170円の金額よりももっと安い金額になっている筈である。

 そこで、その金額を確かめる為に当時のゴッホの実際の生活、とくに衣食住の生活費から割り出すことにしよう。

 先ずゴッホの書簡からゴッホの普段の生活ぶりを調べると、ゴッホは1885年11月下旬にアントウェルペンに来て下宿するが、書簡440(12月)の記述の中でゴッホはアントウェルペンに来てから暖かい食事を取ったのはただの3回、あとはパンだけと記している。

 それに関して、書簡449でもゴッホは1885年の5月から1886年2月の間に暖かい食事をしたのは6-7回くらいで、それゆえ体の調子が良くないと記していることから、やはりパンとコーヒーだけの貧しい生活ぶりだったのであろう。

 又、1885年12月28日の書簡442の記述の中で、ゴッホは朝食を下宿で取り夕食は牛乳屋でコーヒー1杯とパン、仕事をしている時はライ麦パンで過ごすと記述している。

 つまり、ゴッホの毎日の食事生活はかって伝道師時代を過ごしていた生活習慣が影響しているせいか、一般庶民と比べてあまりにも質素過ぎていたのである。

 そこで、問題の1フランの価値を調べると、先ず書簡449の中で、ゴッホは一ヶ月の下宿の部屋代に25フラン、食事代に30フランを先払いしたという記述が見つかる。

 下宿の食事代とは書簡442から前述した朝食代のことであり、1日の朝食代は30日で割れば一日1フランと分かる。

 そして、朝食の内容は前述した書簡(440,449)から暖かい食事はなく、恐らくパンとコーヒー、良くてサラダやバター付きのトーストが付いている位の食事とわかってくる。 

 というのも、書簡524で、

「もし画家である誰か、あるいは君が、小さな絵(les tableaux)も自分で売れない奴にカップ1杯のミルクに1フラン、バター付トースト(une tartine)に2フランと払ってやるとすれば狂ったやつ(un fou)とか金持ちとかに見做(みな)されるだろう」
(書簡524 アルル 1888年)

 とゴッホが述べているから、アルル当時のゴッホにとって2フランの朝食は金持ちの世界と認識しているために1フランが安下宿屋の朝食代に相当していたのである。

 すると、ゴッホの長期滞在型の下宿の朝食代1フランは今の価格で一体どの位の金額だったのであろうか?

 前述した「印象派の絵の値段」の記述では1フラン240円となっているし、NHKの番組では1フラン1,523円になっている。

 しかし、質素な朝食代であったとしても前者の240円では安すぎる感があるし、後者の1,523円だとパンとコーヒー、それにサラダやバター付きのトーストが付いたとしても長期滞在型の安下宿屋の1日の朝食代が1,500円以上もするというのは貧乏なゴッホでなくても考えられるものではない。

 となれば、金価格から計算された1,170円以下の価格のほうに信憑性が出てくる事になる。としても、現在の安レストランで仮に、カップ1杯のミルクを飲むとすれば500円はしないであろう。

 ましてや、バター付のパンを付けたとしても両方の金額合わせて1,000円もしないであろう。となれば、1フランは500円以下と考えるのが理にかなってくる。

 もちろん、前述した書簡524の話の流れから、ゴッホはカップ1杯のミルクの値段に1フランを払うとすればゴッホの生活感覚からして非常に高いと感じてはいるのである。

 しかも、この文章の後に、ゴーガン(ゴーギャン)がアルルに来れば二人して共同生活が出来、そうすれば今の生活費で二人分の生活が可能だと書いていることからも朝食代がさらに安くなるとゴッホがテオに説明していることからも察しられる。

 とすれば、前述した書簡449からアントウェルペンでの下宿の朝食代1フランはパンとコーヒー、もしくはミルクにサラダやバター付きのトーストが付いたと考えられるのである。

 そして、その朝食代はゴッホの生活状況からして、現在の貨幣価値で500円以下であっただろうと推測出来る。もちろん、朝食代が現在の価格で500円以上だとすればゴッホの性格からして料金が高いと主人に抗議をしたり、あるいはパンを買ってきて部屋で食べていると考えられるのである。

 以上の事から考えると1フランは240円よりは高く、500円以下の金額の範囲に限定されてくる事になる。そこで今度はフランスでの生活費の問題を考えると1888年のアルルで出された書簡499に

「今、食事付一泊4フランで泊まっているが最初は6フランも取られた」
(書簡499 アルル 1888年6月16日)

 とある。

 この1泊4フランを1フラン240円で計算すると1泊960円になる。食事付でホテル代が960円とはいくら田舎の町とは言えあまりにも安すぎる。

 又、もう一度確認のためにNHKの番組で説明された1フラン1,523円で当てはめてみると食事付一泊ホテル代が約6,100円になる。

 しかも、長期借りた場合の一日のホテル代である。

 さらに、ゴッホは最初に1泊6フラン払ったと記述している事から1フランが1,523円では最初のホテル料金が1泊朝食付で約9,100円になってしまう。

 この料金は今の観光地であるアルルで三ツ星クラスのホテルに十分に泊まれる金額である。

 当時のアルルは観光地でもなく、簡素な田舎町であるからホテル代は当然もっと安かった筈である。

 しかも、長期滞在するゴッホは当然一番安いホテルを探しただろうから、もっと料金の安いホテルに泊まったと考えられる。

 つまり、ゴッホが泊まった1泊食事付6フランのホテルが安ホテルだという根拠は別なゴッホの記述から計算しても理解される。

 例えば、前述した書簡499の、

「食事付一泊4フランで泊まっている」

 との記述から、この食事付は当然朝食だけを意味し、仮にミルクもしくはコーヒーにバタートーストだけの朝食としても前述の、「カップ1杯のミルクに1フラン、バター付トーストに2フラン」は高すぎると考えているから、ゴッホが6フランから4フランに値切ったということは最初のホテル代6フランの料金の中に朝食代として2フランの価格が含まれていたのだろう。

 すると、ゴッホが泊まっているホテルは実質上、部屋代が朝食代の2倍くらいのレベルとなるから、結局非常に安いホテルという事がわかってくる。

 それでも、朝食付きで1日4フランの安ホテルでも一ヶ月泊まれば120フランとなり、夕食代を考えるとテオからの月150フランの仕送りでは当然絵具代にも事欠き、そして毎日の日常生活が非常に大変であることが察しられる。

 この様な生活状況で今度は、“衣”の部分のゴッホの記述を調べると書簡480の中で、ゴッホは靴を2足で26フラン、シャツ3枚を27フランで買ったと記されている部分がある。

 ゴッホが靴やシャツをまとめて買う位だからゴッホにとって靴やシャツの値段が比較的に安い感覚を持っていなければ不可能であろう。

 そこで安物の靴1足13フラン、シャツ1 枚9フランを前述した最低価値の1フラン240円説で計算すると靴1足3,120円、シャツ1枚2,160円となる。

 今の日本では安い輸入品が入っているので安い靴と言えば1-2,000円位で買え、シャツも1000円くらいで買えるが、当時は今ほど機械化されていないので靴1足 3000円位だったら安い感覚になるだろう。

 次にもう一度試しに金の価格による為替計算の1フラン1,170円で計算してみると、靴1足が1万5,210円になり、ゴッホはそれを2足買い、さらにシャツ1枚1万530円を3枚買ったことになる。その金額ではあまりにも貧乏人には高すぎる感覚になってしまう。

 つまり、ホテル代でほとんど生活費が失われている人が靴に約3万円、シャツに同じく3万円強の大金を払えるだろうか?と、なってしまう。ましてやNHKの1フラン1,523円説ではもっと矛盾した数字になる。

 それゆえ1フラン1,170円以下という数字、それも大幅に低い数字が現実味を帯びてくる。

 そこで、1フラン500円位の数字で考えると靴1足6,500円、シャツ1枚4,500円となって、この金額でもゴッホがまとめて買うには少し高いかなという感覚でもある。

 さらに書簡445でも衣服の価格についての記述があるので参照してみたい。
 書簡445で、ゴッホの服が2年間着続けてボロボロになったので上下の服を40フランで買う事を記している。

 2年間でボロボロになるような服を着ている事とゴッホの質素の生活ぶりからゴッホの服は先ず安物服だとわかる。

 そこで同じようにしてこのスーツ上下40フランの服を1フラン240円説と1,523円説、で考えてみると上下1着のスーツは前者が9,600円、そして後者は約6万円となる。

 やはり前者は安すぎ、後者は高すぎるという結果になる。

 ゆえに中間の1フラン500円で計算すれば2万円となって一番妥当な線となる。

 さらに書簡544では敷布4枚40フランと言う記述がある。同じ様にして計算すると240円説では敷布1枚2,400円、1,523円説では約1万5,000円になる。
 敷布1枚2,400円は有り得るとしても、1万5,000円では高すぎてしまう。
 そこで1フラン500円だと5,000円になる。

 少し高い気がするが機械化の今日とは時代が違うのでこの位の価格かも知れない。

 結局、テオからの仕送りが毎月150フランでゴッホはそれで最低生活を送っている事から考えれば1フランは500円位が妥当な数字だと考えられる。

 つまり、ゴッホは一ヶ月7-8万円位のお金で生活していた事になる。これは日本の生活最低保障費よりも安い金額である。

 するとゴッホの場合、今でこそ100Million$(約百数十億円)の値段がつくほど評価が国際的に高いが、当時はゴッホの作品を50フラン(2-3万円位)でも買う客など全くいなかった。

 もちろん、独立心の強いゴッホは自分の作品の評価に左右されずに印象派の旗手として勢力的に生きたのだが、美術愛好家や専門家から嘲笑(ちょうしょう)や非難の中傷を受けた一生だったのである。

 それに対し、モネの場合は後生になって大家として評価されたが、冒頭に記した1886年の場合、モネの絵は1,200フランだった。

 すると、前述してきた通り、1886年当時のフランの価値を現在の日本円にして500円くらいとすると、60万円くらいになる訳である。

 同じく、当時の大家の絵が225,000フランだから、これも1フラン500円とすると、1億1250万円になる訳である。

 となれば、大家と評価された絵よりもモネやゴッホの絵を早い内に安く買っていれば将来はゴッホやモネの評価と共に値段が上がり、名誉と共に大きな財産となっていたことであろう。

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