五井野正博士のその他の原稿

2015年5月26日(火)

ゴッホ画『雨中の大橋』の日本文字解読

ゴッホ画『雨中の大橋』の日本文字解読
ロシア国立芸術アカデミー名誉正会員
ウクライナ国立芸術アカデミー名誉教授
五井野正博士(画号 歌川正国)

画面上部の漢字の解読

 今までゴッホが描いた『雨中の大橋』(仮題)と『花咲く梅の木』(仮題)の廻りに書かれた日本文字は装飾的文字として、語句の意味はないと世界のゴッホ研究者に語られてきた。

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   オランダ国立ゴッホ美術館蔵          オランダ国立ゴッホ美術館蔵

 しかし、最近ゴッホの日本文字がマスコミに取り上げられるようになってからゴッホの漢字を判読しようと試みる日本人研究者が現れてきてはいる。

 例えば、ある高名な日本の美術評論家がゴッホの漢字を判読しようと試みて『雨中の大橋』の上部に書かれた漢字を左から読んで「木吉原八景○長人○」と読みとったが意味不詳と感じたらしく、ゴッホは日本語を知らないと考えて、それ以上は判読していない。

 しかし、左から読むというのは、欧米人や戦後の日本人の習慣で「○長人○」は右から読んで「内人長吉」と判読出来るはずで、この言葉なら日本語として意味が通ってくる。

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 先ず”長吉“という言葉を聞くと、日本人は男性の名称を連想するが、ゴッホは浮世絵を400点以上コレクションをしていたので、オランダの国立ゴッホ美術館所蔵の「ゴッホの浮世絵コレクションカタログ」から長吉という文字が書かれている浮世絵を探し出して見ると、『芸者長吉』というタイトルの鏡絵(ゴッホ美術館図録No.272)一枚だけが発見される。

 個人蔵のゴッホ作『タンギー爺さんの肖像』の背景図に、この『芸者長吉』の浮世絵が描き込まれている。

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 ゆえにゴッホは1887年の同時期に、この鏡絵を『タンギー爺さんの肖像』画の背景図に描き、さらに「芸者長吉」から長吉の文字を『雨中の大橋』の上側に写し書いたと判断できる。

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 つまり、「長吉」は芸者の名前で、芸者は西欧でいうと高級娼婦ともいえるが、この長吉という名称は男ではなく女だったのである。

 ゆえに「内人長吉」とは、「長吉」という名の芸者をうちびとにする、あるいは身請けするという意味になる。

 そこで、ゴッホが何故「長吉」の名を取って更に内人という漢字を長吉の前に書き加えたのかと考察すると、ゴッホにとって娼婦と関係した出来事と言えば1882年1月下旬にオランダのハーグで出会った娼婦クラシーナ・マリア・ホールニック、通称シーンを、その年の7月に内人、つまり奥さんにして同棲した事実が先ず思い浮かべられる。

「彼女と僕は、妻の様に受け入れている事のお父さんの許可を僕たちは心いっぱいに願っている」
(書簡212 ハーグ、1882年7月6日)

 そして、二週間近くたった7月19日頃、テオに宛てた書簡では

「結婚の約束は二重になっている。先ず周囲の事情が許し次第、届け出結婚をするという約束。
 第二には、…(中略)あたかも既に結婚生活を続けていたかの様に互いに慈しみ合い、何事も分け合い、どんな事があっても離反しない様に完全にお互いの為に生きる、という約束だ。………(中略)取りあえず法定結婚の問題は僕が自分の手で作品を売って、もっとお金が入るような時期になるまで、このままにして置いて欲しいということだけをお頼みするよ」

 とテオに初めてシーンと内々に結婚している事、届け出が必要な法定結婚は家族が許してくれる場合、もしくはゴッホが画家業として自活できた時に出すという事をテオに告白しているのである。

 つまり法定結婚はシーンが娼婦であるために、親族の猛反対が起き、テオの仕送りも危ぶまれて、生活への不安が生じたからである。

 しかし、テオから仕送られた一人分のやっとの生活費から、家族4人分の生活費を補うには大変で、遂に借金をし始めたことによって、内々の結婚生活に破綻が生じた。

「今日僕は、彼女と静かな一日を送った。自分がどんな位置にいるかを十分彼女に説明しながら、僕が自分の仕事の為に行かねばならないこと、そして一年間、出費を制して収入を計り、今まで僕にとって荷の重すぎた過去の埋め合わせをしなければならない(借金返済の意)事について彼女と真剣に相談した…(中略)弟よ、こんな訳なのさ。別れないで済むことなら、僕らは別れはしないだろう。繰り返すけれども、別れないですむのだったら、僕らは別れまいよ」
(書簡318 ハーグ1883年9月2日)

 ゴッホはシーンや子供達と別れてから、ドレンテ、ニューネン、アントウェッルペンに住居を移しながら、テオの反対を押し切ってテオの住むパリに出る。

 そこで浮世絵に熱中したロートレックやベルナール、そしてタンギー爺さんに出会う。

 ゴッホは浮世絵の影響を受けた印象派の人達と仲間になり、ゴッホも又、浮世絵のように明るい絵を描くようになった。

 1887年夏、ゴッホは愛人セガトリーナとのトラブル別れを通して突然に南仏を日本に見立ててパリを去ってアルルに行くことを思い立つ。

 そして、経済面で別れなければならなかったゴッホの唯一の奥さんだったシーンと子供の事を想いだす。

「グロー(Groot)のシーン(sien)は彼女の従兄弟(son cousin)と結婚したのだろうか?彼女の男の子は今でも(encore)生きているだろうか?」
  (書簡w1 ウィレミーン宛  パリ 1887年8月夏)

 この後、ゴッホは広重画の「大はし阿たけの夕立」を模写し、絵の周りに日本文字を描いた油絵を制作する。

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 当時、浮世絵は印象派の人達に大きな影響を与えていた。特に浮世絵に描かれていた芸者は印象派にとって視覚芸術(浮世絵)の高級モデルと認識されていた。

 ゆえに、ゴッホは広重の『大はし阿たけの夕立』を模写し、この絵の上部側に、シーンを「芸者長吉」に例えて、“内の人”とした事を漢字で「内人長吉」と書いたと推測して見れば日本文字を書いたゴッホの意図が理解される筈である。

 すると、他の日本文字もどう云う意味を表現しているのであろう。

  『雨中の大橋』の右上と左下の色紙の文字
 画面右上の黄色の色紙形の中の文字を注意して見て欲しい。

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 先ず、「長」と読めそうな文字が確認できる。「長」の下の文字は一字の漢字に見て、漢字辞典から女辺の似ている漢字を探すと「委」「妻」「妾」という3つ位の漢字しかない。

 これだと「長」に続けて読んで「長委」「長妻」「長妾」となり、日本語としては意味不詳である。

 そこで、今度は2字の漢字として見ると、何とか「吉女」と読めそうである。「吉女」とすれば「長」につなげて「長吉女」と読める事になる。

 これなら前述した、この絵の上部側に書かれた4文字の「内人長吉」の「長吉」とピッタリ同じ文字となる。

 「長吉」の後にわざわざ女とつけたのは、「長吉」という言葉が日本では一般的に男性の名称として使われるという事をゴッホが知っているという事を暗示させるものだ。

 すると「長」の左隣の文字は絵の上側に書かれた「内人長吉」の「内」と全く同じ筆跡から「内」という漢字と読める。

 さらに、「内」の左は「火」の様に見え、かろうじて“火(ゴッホは家?のつもり)内長吉女”と読める。

 これは上部側の書かれた「内人長吉」をさらに説明した形で、「火(家)内長吉女」が、『雨中の大橋』のタイトルとして書かれたと考えると、その対角の位置にある、もう一つの色紙形のタイトルはなんであろう?

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 本来なら色紙形のタイトルは一つの絵に対して一つしかないのが普通だが、広重の原画である『大はし阿たけの夕立』にはない二つの色紙形のタイトルがゴッホの絵の中に描かれていることにゴッホの特別な意図をつかむ必要がある。

 そこで、左下の短冊形の文字が「広重画」と読めるから、そのとなりの色紙形に書かれている文字は広重の原画のタイトルである『大はし阿たけの夕立』が書かれているだろうと当然考える。

 もちろんゴッホの日本研究者は疑わずにそう読んでいるが……しかし、良く見るとそれにしては文字が少しおかしい。

 何故なら、右下の朱色の短冊形の文字が広重の原画と同じ「名所江戸百景」のくずし文字を忠実に写し取っているのに対し、左下の色紙形の文字の場合、「大はし」という文字がどう見ても消えているし、「阿たけ」の字も「13〜4」のように読めるし、「夕立」の「夕」も7の様に見えて要は文字的に変なのである。

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 そこで、その色紙の中の文字をゴッホが一見タイトル文字の様に見せながら、実は713~4という数字を意識的に書き込んだと考えれば、何故広重の原画にない2枚の色紙を『雨中の大橋』の中に描いているかの謎も理解できてしまうのである。

 つまり、ゴッホが娼婦であるシーンを日本の芸者に例えて身請けしたことを内人長吉という文字で置き換えて、右上の色紙に‘家内長吉女’と書いたことにより、今度は左下のもう一つのタイトルの色紙の中にシーンを内人にした7月13日~14日の日にちの数字713〜4を書き込んだと思えば良いのである。

 そこで、シーンがゴッホの家に同居した日を調べると、ゴッホは1883年の2月頃に友人のラッパルトに出した手紙で、

「7月1日にライデンの病院で彼女と会った。その前日の夜に彼女は男の子を生んだのだよ」  (ラッパルト宛P20 1883年2月初旬)

 という記述が残されているのに注目する。

 何故なら、実際にはゴッホがライデンの病院に行ったのは面会が許されている日曜日だけだから、7月2日(日曜日)だったからだ。

 しかし、ゴッホは1日間違えて7月1日の日曜日と思い違いをしている為に、シーンの退院はテオに宛てた手紙を読むと、

「金曜日にライデンの病院から、シーンが土曜日に家に帰ってよいという知らせが届いた。そこで僕は今日病院に行って一緒に戻ってきたのだ」
(書簡 215 ハーグ 1882年7月)

 という記述から、金曜日のシーンの退院の知らせはゴッホにとっては7月13日になり、次の日の土曜日にシーンが退院してゴッホと同居生活を始めるのだから、ゴッホはシーンと同居した日を7月14日と考えていたことになる。

 つまり、シーンがゴッホと同居した日は実際には7月15日土曜日であっても、ゴッホの記憶では7月14日土曜日となっている為に、もし『雨中の大橋』で芸者長吉、つまり娼婦シーンを内人にした日をメモリーとして残す場合、当然714という数字を書く事になる。

 そして、シーンが退院する知らせを受けた日が7月13日金曜日となる為に、ゴッホはことさら、この13日の金曜日を意識したのか、それとも退院の知らせを受けた日にシーンとの結婚を決意したのか、その日の数字を示す713を付加して713〜4と『雨中の大橋』の黄色い色紙の中に書き込んだとも考えられる。

 つまり、シーンが娼婦のためにゴッホとの結婚に家族、親類だけでなく弟テオまでが反対した事に対し、ゴッホはシーンの名誉を守る為に、西欧人が侮辱する娼婦としてではなく、芸者を高く評価している日本人に、それもゴッホの芸術と心を理解してくれる日本人だけに、シーンとの結婚を宣誓して、シーンとの法定結婚の約束を絵画上の日本に表したと見てとれるのだ。

画面右上の朱色の短冊文字

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 最初の文字は非常に判読しにくいが、女辺の一字の漢字に見て、漢字辞典から似ているのは「委」「妻」「妾」「妛」「姜」が探し出せるが、「妛」や「姜」はほとんど日本語としても使用されていない文字なので除外する。

 そこで判読しやすい三番目の文字に注目すると、この字は夫と難なく読めるだろう。

 この「夫」という字の関連性や、ゴッホの浮世絵コレクションに良く使用されている「妻」と「妾」にしぼれば、最初の文字は日本語として夫に対応する「妻」という漢字だけとなる。

 しかし、「妾」も一応考慮する。

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うが…実はこの文字は浮世絵の技法でよく用いられる判じ文字という手法なのである。

 判じ文字とは「1つの文字の中に別の文字をまぎらして書き込み、それを探させる」なので、この技法を理解していればゴッホの難解な文字も意外と簡単に判読できる。

 つまり、ケの字の横線を長く引いて、その横線にイの文字を重ね合わせた隠し文字と見れば、ケイという文字に判読出来てしまう。

 ケイは1881年ゴッホが伝道師に失望し、ゴッホの両親と共にオランダのエッテンに住んでいた時に出会った女性である。

 ゴッホと会った時、主人を亡くしたばかりで、子供一人の未亡人であったが、ゴッホは恋をして求婚して断られてしまう。

 アムステルダムの実家に帰ったケイを追いかけて結婚を申し込もうとするが、無惨にもケイに会わしてもらえるどころかケイの両親から冷たくあしらわれてしまった、ゴッホの意中の人である。

 そして失意のまま、ゴッホはその年の12月にオランダのハーグに行く。

 次の年の1882年1月にハーグの港町でゴッホは一人の娼婦と出会う。
 それがゴッホにとって運命的な女性となるシーンであった。

「アムステルダムから戻って来た時、あんなに強く真実で、正直な僕の愛情が文字どおり殺されたのを感じた。だが死ののちには復活がある。Resurgam〔ふたたび生きなん〕。それからぼくはクリスティンに出会った。躊躇や時間延ばしの余裕はなかった。僕は実行しなければならない。もし彼女と結婚しないなら、彼女を一人にするほうが親切だったろう」
(書簡193 ハーグ1882年5月14日)

「シーンが絵描き生活特有の苦労や煩わしさをすべて我慢して、いつでも喜んでポーズをするので、ぼくはケイとの結婚よりも、シーンと一緒の方が、よい芸術家になって行くと思える点だ」
(書簡204 1882年6月1日 ハーグ)

 つまり、ケイとシーンはゴッホにとって時間や心理状態の連続線にあり、無情と愛情の対照的な位置にあった。

 そこで色紙形の「家内長吉女」がシーンの事を例えているなら、その横のケイはカタカナで重ねて、実名で表示していると言える。

 ゆえに、この短冊の中の上から三文字は「妻ケイ夫」という言葉が最もふさわしく思えるが、「妾ケイ夫」の方が筆の書体からして近い感じがする。

 「妾ケイ夫」は西欧人的にいえば「愛人ケイ夫」となる。

 いずれにしても、「夫」の後に続く文字はきっと夫の名前の頭文字だと連想するが、どんなにしても数字の13やアルファベットのBにしか読めない。

 仮にBと読むとするとゴッホの頭文字のV・V・Gとは合わないし、又、ケイの亡き夫の頭文字V(VOS)とも合わなくなる。

 そこでBではなく数字の13と読むとすると、夫13となって、このままでは理解しがたい。

 しかも13はキリスト教では13の金曜日として殉死を意味して不吉な数字である。

 キリストや殉死した人でない限り、13を人の代数とはしないだろう。

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 しかし、『雨中の大橋』の左下の色紙形の文字、713〜4の数字と何らかの関係した数字と考えた場合、夫13の後の文字が4と関係する何らかの記号だったら、13の数字の可能性が出てくる。

 そこで13の下の文字もしくは記号の部分での右側部分を良く見ると、4には見えないが英語の「H」もしくは「十1」に見る事が出来る。

 すると、この「13+1」を先ず意識しながら、13の左下に書かれている曲線みたいな記号を良く見れば、その曲線の両端が少し丸くなっており、その小さな丸の位置は「13」と「+1」にかかっている事が分かる。

 つまり、「13」と「+1」をつなぐ半円の線の様に見える。

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つまり、「C・H」と見ることが出来るのだ。

この「C・H」こそ「C…M…H」(クリスチーナ・マリア・ホールニック)通称シーンの中間名称Mを取った頭文字となっていたのである。

ということは、13の後の文字はシーンの頭文字「C・H」と判読でき、さら

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時に兼ねていたことになる。

13はゴッホの聖数だった!

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上、当然ゴッホの意味を表す代数にならなければならなくなる。

そこで、この13がゴッホの代数であることを証明する為に、今度はゴッホ作『花咲く梅の木』の画中にある左下の朱色の短冊の文字を解読してみる。

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 先ず一番上の文字は「大」という漢字に判読できると思う。すると、次の文字は「十」の様に見えるだろう。

 ところが「十」の後に続く文字はどうしても日本語としても文字としても読めない。しかし最後の文字は「錦」という漢字に読みとれるはずである。

 「錦」という文字はこの『花咲く梅の木』の画中左側の漢字「大黒屋錦木」の錦とまったく筆跡が同じなので間違いはない。

 そこで、「錦」とは紋様の美しいものを例える時に使われるが、一般的に「錦絵」と言えば浮世絵の事をいう。

 以上の判読出来た文字を上から読むと、「大十○錦」となる。 これでは日本語としては全く意味不詳となる。

 しかし、この最初の文字「大」と最後の文字「錦」を合わせて読むと「大錦」となり、これは「大判の浮世絵」あるいは「大きな浮世絵」という意味となって、立派な日本語となる。

 次に「大十○錦」の文字から上下の「大」「錦」を取った後の「十○」の文字の判読を試みることにする。

 先ず「○」の中の文字だが、『雨中の大橋』の画中の右上の短冊の中の文字が判じ文字のケとイを重ねたケイの隠し文字にしていた技法がここでも取りいれられていると考えると、「十」の下の文字は「の」というひらがなに「三」という漢数字を重ねたものだと考えてみよう。

 つまり、「の」の文字の下側に漢数字の「一」を右下がり斜めにして「の」に重ね、さらに「の」の右横に「二」の漢数字を右下斜めに書いてあると考えれば、合わせて読むと「の三」もしくは「三の」と判読できてしまう。

 さらに、上の字の「十」と合わせて「十三の」もしくは「十の三」という日本語になる。

 そこで、その次の「錦」という漢字と合わせて読むとすれば、接続詞の「の」が必要になるので、「十三の」の方が適切となる。

 すると、「十三の」と判読した文字を「錦」に続けて読むと「十三の錦」となり、最初の文字「大」を加えると、「大十三の錦」、つまり、「大きな十三の錦」と読むことが出来ることになる。

 となると、「大きな十三の錦」と判読できた文字が書かれているところの、この朱色の短冊は元々の浮世絵の原画の決まりから考えてこの絵の作者名を表示する短冊となっていることになる。

 その様な浮世絵の考え方から推測すると、『花咲く梅の木』の作者は当然ゴッホなので、本来ならばこの朱色の短冊の中の文字は「ゴッホ画」と書かれていなければいけないことになる。

 そこで、「十三」を「ゴッホ」の代数字と考えるならば、「大きな十三の錦」は「十三」と「ゴッホ」を書き換えて表示すると、「大きなゴッホの錦」と解読出来てしまう。つまり、「大きなゴッホの錦」とは「ゴッホの大きな浮世絵」という意味であり、それは「ゴッホの絵」でもある。「絵」は「画」と同義語な為、「ゴッホの絵」とは「ゴッホ画」となるからだ。

 ということは、ゴッホは浮世絵の決まりを知っていてゴッホが描いた絵の作者名のところに「広重画」と描かず、「ゴッホ画」の意味を表す「大十三の錦」と描いたと考えることができる。

 つまり、「十三」とは単なる数字ではなく、ゴッホの暗示数字だった事が分かってくる。

そこで話を『雨中の大橋』の画中右上の朱色の短冊に戻すと、短冊の中の文字「妻(妾)

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はゴッホとシーンの結婚という意味を兼ね備えていたのである。

 そこで、ゴッホは『雨中の大橋』を描いた翌年の1888年8月、アルルで最も有名な『向日葵』の絵を描くが、ゴッホは弟テオにフランス語で 

「1° 3 grosses fleurs dans un vase vert, fond clair, toile de 15 ; 2° 3 fleurs, une fleur en semence et effeuillée et un bouton sur fond bleu de roi, toile de 25 ; 3°douze fleurs et boutons dans un vase jaune (toile de 30). Le dernier est donc clair sur clair et sera le meilleur j’espère. Je ne m’arrêterai probablement pas là.」
 (一つは縁の花瓶に三輪の大きな花で明るい背景の15号、二つ目は三輪の花に種子のあるのと花弁が落ちたのと、つぼみのものとで濃紺の背景の25号三つ目は黄色の花瓶に1ダース(12輪)の花とつぼみで30号のものである。最後のものは明るい色が明るい色の上に重なっているのだが、これを最良の作品としたい)
(書簡526 1888年8月後半頃)

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 と書いているが、ここに1ダース(12本)とつぼみの向日葵を合わせた13本の向日葵を最上のものと記述している。

 13という数字は西洋人の忌み嫌う数字であるが、ゴッホにとって自らの代用数字としていたから、13本の向日葵はゴッホ自身の向日葵だったのである。

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(つぼみ)を加えた向日葵と述べていることから、12+1=13本の向日葵という形でゴッホはまだ開きかかっていないつぼみの状態としての画家の心境を、ここに13本の向日葵として表現していると見てとれるのだ。そして、テオに宛てた次の書簡では、

「今はもう4つめの向日葵に取り組んでいる。この4つ目は黄色の背景に中に14本の花束があるもの」
(書簡527、1888年8月下旬アルル)

 とある。

  つまりゴッホの向日葵を意味する13本の向日葵に続いて描かれた14本の向日葵とは、ゴッホとシーンの出会いと、それによる結婚を意味していた花束だったのである。

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 それにしても、この黄色の背景色のヒマワリの絵をよく見ると、枯れている花が多く、しかも13本の向日葵と比べて、だいぶ花が落ちている花束となっている。

 つまり、シーンとの悲しい別れの状況をこの14本の向日葵が物語っていると言えないだろうか?

 ゆえに、私はゴッホの文字の解読と14本の向日葵の真意を理解する事によって、ゴッホの想いを成就する為に「天の大鏡の中の向日葵」というタイトルの、一つも枯れず花びらの落ちていない満開の14本の向日葵を描いたのである。

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 そこで話を再び『雨中の大橋』の短冊の中の文字に戻そう。

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いう意味になっていたが、それだとケイはゴッホの妻にはなれない。

 しかし、ケイの文字の上に「妻」だか「妾」だか分からない漢字を書いて「夫」に対応させているのは、ケイを妻にしようとして愛の殉死(13)した事が原因でシーンと結婚したということをこの短冊の中の文字で表現して、さらに次の意味と重ねていたからであろう。

 そこで、「妻ケイ」の文字にもとれそうなのは、ゴッホの心の中ではやはりケイを妻にしたかったという願望がここに表現されていると見てとれるからである。

 次に、「妾ケイ」にしてもゴッホは西欧人、それもかつて伝道師だった為に、妾という漢字をはっきり書くのをためらったと思えるからだ。

何故なら、「妾」は欧米では妻帯者の愛人に当たるが、妻を持って愛人も持つというのは、キリスト教社会に於いて、道徳上許されるものではない。

 しかし、江戸時代の日本では一夫多妻制であり、ゴッホの生存当時の明治の日本では西洋制度を取り入れて一夫一妻に変わったけれどその習慣はすぐにはなくならず、代わりに妾を持つことは許されていたというより、むしろ妾を多く持つこと自体、かえって男の美徳に繋がっていたのである。

 ゆえに、ゴッホは日本の道徳観ならば、シーンを娼婦としてではなく、芸術のモデル(浮世絵に描かれた芸者)として妻に迎え入れ、更にケイを妻として愛人として同時に愛し続けられると考えたはずである。

 すなわち、ゴッホにとってケイとシーンは運命的な一体の存在だったのだ。そこで、この絵をゴッホの眼で見れば、誰しもがすぐにハッと気がつくはずである。

 つまり、橋の上に描かれている傘を持った二人の女性と、それを追う一人の男性…
 そう。この二人の女性こそシーンとケイであり、それを追う一人の男こそゴッホそのものだと気がつくだろう!すると、この二人の女性の、どちらがシーンで、どちらがケイなのか。

 そう、色でしか判断出来ず、これこそが色彩で語る人、ゴッホの絵画の特色なのだ。

 つまり、手前側の赤いスカートに緑の上着服を着ている人がシーンとなる。

 何故なら、この絵の枠が緑の下地に赤のラインと漢字で描かれて、その漢字が上側の「内人長吉」の漢字で解るように、色でもシーンのことを表現しているからだ。

 例えばこの『雨中の大橋』を描いた一、二カ月前にゴッホはクレポンタッチ(浮世絵を縦横等分に縮めた絵)で橋の下の川の図を描いている。

 その絵を見ると赤い傘に赤い服を着た女性が橋の下の川の横歩道を歩いている絵柄が描かれていることが分かる。

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 そこで、この『雨中の大橋』に描かれた赤いスカートの女性と比較してみるとゴッホの意図が見えてくる。

 つまり、この絵に描かれている傘を持った女性二人と、それを追う一人の男がこの絵の主題となっていて、ケイとシーン、そしてゴッホを表していたのである。

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